冬の星座が、樫崎市の夜空を彩っている。
 どれだけ月日が経とうと消えなさそうな夜空のアートを、錬は心底楽しそうに眺めていた。
 結局、宗助がいつまで経っても起きないので部活は終了となった。あんなもので卒倒するの
は、と錬は流石に彼の体に疑問を抱く。
 錬は黒のコートを羽織っていた。今日の夜も昨日と変わらず寒いが、それでも分厚いコート
を着込むほどでもない。錬がそうしている理由はただ1つ。
 ここはマンションの屋上だった。
「風が冷たい……」
 錬は吹いてくる風にぶるぶると身を固めていた。寒さの上に強い風も吹くために重装備じゃ
ないと凍えてしまうのだ。
 錬もそこまで無理をする必要はない。
 けれど、星の見たさにここまでしてしまったのだ。
「俺って中毒かも」
 と呟くが、別に自嘲するつもりはない。
 ただ純粋にこの町の星が綺麗だから、こうしているのだから。
 錬の視界の中央に映るのは冬の星座で有名なオリオン座だ。砂時計のような形をしたそれは
まるで敵がいないかのように神々しく輝いていた。
「うん、寒さに耐えて見る甲斐がある」
「そうだね」
「明日は多分……?」
 誰もいないし聞いていないはずの独り言に女の子のような相槌が打たれた気がして、錬はそ
の口を結んだ。
 屋上にどうやって上がってきたのか。不審に思いながら錬が声のした横を向くと、
「多分……何?」
 そこにいたのは1人の少女。
 黒のマントを羽織った、華奢な体格に可憐な黒髪を持ったあの少女――未来が体育座りをし
て笑みを浮かべていた。
「なっ……」
 それは自らを〈死神〉と名乗った、日常の破壊者だった。
 思い出す。自分を殺そうとした異形の事を。
 忘れていた記憶が甦る。
 思い出してはいけない、非日常を。
「ッ……」
 錬は押し戻しの出来ない怒りを込めて黒少女を睨む。
 その視線を向けられた未来はへらっ、と困ったように笑っていた。
「やだなぁ。そんな目で見ないでよ」
「ふざけるな。何でお前がここにいるんだよ!」
 空気を乱すような大声を張り上げるも、未来はその迫力に気圧されずに、むしろ涼しい顔を
していた。
「君に伝えないといけない事があってね」
 よいしょ、と彼女は立ち上がり、錬の前に回りこんだ。
 そして、重い話を告げるように柔らかそうな唇が動いて、

「君、このままいくと間違いなく死ぬよ」

 その口からは、死亡宣告が下された。
 幼さが残る声に乗ったその言葉に錬は耳を疑う。
 それを数秒かけて呑み込むと、思わず吹き出た。
「ぷっ……そ、そんなわけないだろ!」
 錬もあまりの馬鹿馬鹿しさに怒りがどこかに吹き飛んで、抑えきれずに大声で笑った。いき
なり現れて、何を言ったかと思えばこれだ。いくらなんでも冗談にもほどがある。
「……」
 だが、未来は真剣な眼差しだった。錬の馬鹿にするような大笑いに全く応じない。まるで、
真実だけを告げる医師のような緊迫があった。
 やがて錬もただならぬ雰囲気を感じて黙る。
「……どういう意味なんだ?」
「昨日のあれは覚えているね」
 錬は1回頷く。
「〈吸魔〉は本来なら無差別に人を襲う。けれどね、たまに特定の人を狙う時もあるの。今回
の場合、それが君に当てはまるの」
「根拠は?」
「……」
 その時、未来はなぜかこの場に静寂を作った。
 顔は何を言うか迷っているようにも見える。どうやらない……らしい。
 理由ないくせに言うな、と錬が反論しようとする前に未来が場を打ち破る。
「けど、それは確かなの。それを踏まえてよく考えて欲しいんだけど。君はとても運がいいん
だよ? あの場にいた被害者は本当なら君だったんだから」
 えっ……、と。錬の頭を空白が埋め尽くした。
 その反応を未来は気にせず話し出す。
「それは君の帰る時間がいつもより遅すぎたから。おそらくはあそこを一番最初に通った人を
襲ったんだろうね。それが本当なら君だった」
「で、でもあんな時間になるまで人が来ないわけないだろ」
 帰宅時、時刻はすでに日付が変わる寸前だった。死体を取り巻く血の固まりようから、殺さ
れてから時間が経っているはずもない。
「第一、俺の両親もいた。昨日、7時台に帰ってる人なんていくらでもいるだろ」
「そうね……。でもごめんね。実はね、〈吸魔〉は自分の目的に合った人しか襲わない。無差
別に襲う場合、そうとは限らないけど。あの被害者を殺す事には、それなりの目的があったん
だよ。君を殺すというのとは別にね」
 なんともむちゃくちゃすぎる。
 しかし……、それが真実となれば恐ろしい意味を持つ。
 昨日はしし座流星群を見ていた。それで、帰ろうとした10時ごろにはいい写真が撮れない
からと1人残り、11時ちょっと前まで粘っていた。
 それは確かにいつもと違う行動。
 もし、昨日流星群を見に行かなかったら。いい写真が撮れなくても諦めて、おとなしく家に
帰っていたら。

 錬は、あの死体の代わりになっていた。

「……ッ!!」
 そんな自分を想像し、そのおぞましさに体温が一気に下がったような感覚を味わった。
 素直に帰っていたら会わなかった。そんな考えは違う。逆に、帰っていたら〈吸魔〉に襲わ
れて命を落としていた。
「それにあの状況でも私がいなかったら間違いなく死んでた。それを加えても、間違いなく運
がいいんだよ」
 未来は確認するように一言。
「……理解、してもらえた?」
 錬は肯定も否定もしない。
 ただ1つ。嘘をつく気ならこの場にいるはずがない事ぐらいは、分かっていた。
 代わりに、疑問をぶつける。
「……お前の言い様じゃあ、あの異形がまだ死んでいないみたいじゃねえか」
「そう、まだ終わってない」
 目の前の黒少女は告げる。
「言ったでしょ? あれは〈吸魔〉の『欠片』だって」
「……言ったっけ?」
「言った。まぁ……あまりの事に気が動転してたかもしれないけど。欠片をいくら倒しても本
体を倒さないと全然意味がない。まだ君を襲う悪夢は覚めていない。むしろ、始まったとでも
言うべきかも」
 悪夢はまだ覚めていない。
 非現実な現実をつきつけられ、錬は自分の居場所を失うような感覚に陥った。
 追われ続ける? あれに? 
 錬は何かを言おうとしたが、絶望のあまり声が枯れて何も言う事が出来なかった。
「……だから君を見張る必要があるの」 
 元から返ってこないと分かっていたのか、彼女は感情の起伏を出さずに二の句を続ける。
「君が本当に狙われているのだとしたら1人では危険すぎる。あれは人がどうこう出来るもの
じゃないから」
「……出会ったら?」
「間違いなく八つ裂きだね」
 自分の無力がびしびし伝わってきた。
 結局錬は『〈吸魔〉という人を殺す異形がいる』という現実を知っているだけの非力な一般
人に過ぎない。
 錬は、自分が随分小さい人間に見えてきた。
「俺は自分の身が危ないと分かっているのに、何も出来ないんだな」
「……そうだね」
 彼女の遠慮がちな声が逆に物語っていて、錬は目を伏せる。自分をここまで何も出来ない存
在と感じるのは初めてだった。
 未来は目の前で、ただ真っ直ぐ錬を見つめていた。
「けどね、だから守る」
 そして、〈死神〉の少女は言う。
 はっきりと届くように、強く。
「私が守るべきものだから、守る。そして、君を元の日常へ帰してあげるから」
 それはあの時の、〈吸魔〉に襲われた時に言ってくれた声色に似ていた。
 錬は顔を上げ、未来を見る。
 彼女は心配しないでと言わんばかりに微笑んでいた。
 それを見ていると、錬は心が落ち着いていった。目の前の、身長的には自分より小さいはずの
彼女が大きく感じた。
 あの時、自分を守ってくれた時もそんな顔をしていたのだろうか……。錬は思った。
「……頼む」
 錬は言う。
 すがる事しか出来ない自分を悔やみながら、この少女に最後の望みをかけるかのように。
「うん、頼まれた」
 未来は嬉しそうに顔を横に傾けた。彼女の髪が、それに合わせて風鈴ように揺れ動く。
 言葉が途切れ、風の音が2人の間を切る。
「……って、守るって四六時中いるつもりか?」
 流石にそれは辛い。錬はもちろん学生なのだから学校に行く。その風景に彼女が紛れ込んでい
たら確実に目に付くだろう。それに、天文部の4人に何か言われかねない。
 だが、自分の危険度は思い知らされた。いてもらわないと困ると思いつつ、でも迷惑だなとも
思ってしまう。
 しかし、錬の予想に反して未来は首を横に振った。
「〈吸魔〉は夜にしか現れない。夜といっても暗くなった時かな。だから、君の迷惑にはなら
ない。せいぜいここで見守るぐらいしかしないよ」
 錬は安堵を浮かべるも、すぐに新たな不安が生まれる。
「ここって……屋上だぞ?」
 今の時期、ここはコートを着る必要があるぐらい極寒だと思うのだが。
「大丈夫。私は……温度を感じられないから」
 錬は眉をひそめた。
 今思えば彼女の服装は妙に簡潔だ。(昨日と同じなら)確か両方とも黒単調のブラウスとミ
ニスカート。その上を薄っぺらい黒のマントで覆っているようなものだ。いくらなんでも11
月の下旬に入る頃にその格好は寒すぎるはずだ。
「どういう事だ?」
「〈死神〉は温度を感じ取れないの。だから、暑さ寒さは関係ない。北極でも火山でも同じ格
好で過ごせるからね」
「火山でも……それは派手なたとえだな」
「へへ、まあね。だから私に触っても体温は感じられない」
 そういえば、〈吸魔〉に襲われて腰が抜けた時に彼女に手を貸してもらった。その時には何
も感じなかった気がする。
「溶岩を頭から被っても大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないかな……したくないけど」
 未来は苦笑いした。そりゃそうだな、と錬も苦笑を浮かべる。
 その瞬間、一閃の光が夜空を駆けた。未来があっ、と声を上げる。
「流れ星!」
「マジで?」
 錬が空を見てみると、すでに光は闇に溶け込んでいた。
 流星は消えるのが早い。本当にいいタイミングでないと見えないのだ。
「はぁ、最悪」
「君は星が好きなんだね」
「……まあな。見ていると落ち着くんだよ」
「そうなんだ……あっ、オリオン座だ」
「前からあったけどな」
「あっちにはウサギ座もある。あ、犬の親子もいるんだね。へぇ、冬のダイヤモンドも普通に
見えるんだ」
「……」  なんか、星座の中でややマイナーなところにいった。彼女も星座を調べる程度には好き――
なのだろうか。
「そんなものまで知っているんだな」
 と呟くと、未来はおどけて舌を出した。そのしぐさが可愛らしかったという感想は、心の中
にしまっておく。
「教えてもらったの。昔に」
「誰に?」
「とても星に詳しい人……」
 過去を振り返るように声をこもらせて、未来は星空に魅入っていた。その目はとても綺麗な
目をしていて、邪魔しちゃいけないなと思う。
 錬は彼女の食い入りに再び苦笑して、視線を夜空に移した。
 星の光は夜空の闇を破るほど明るかった。





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