朝の陽の光を受けて、錬は目を覚ました。
「ん……」
 布団を跳ね飛ばして伸びをする。今日は珍しく目覚めがよかった。
 とりあえず、何も起きなかった。
 それがまず安心できた事だ。寝る前、錬は1人部屋にいるから襲撃を受けるかとびくびくし
ていたが、その不安は思いだけで済んだ。
「で、いないんだっけ……」
 錬は嘆息と同時に腕を下ろした。
 両親は今日から出張とかいって5日ほどは帰って来れないらしい。やはりこの高級マンショ
ンを買うだけあって忙しいのは承知の上だが、どこかもの寂しい気持ちもある。
 それでも子供の頃から誰もいないという不幸な人生を送ってはいないので、錬は気楽に今日
の夜からの5日間、どう過ごすか考えようとした。
「あれ?」
 ふと机を見ると、そこに1枚の置手紙があった。
 錬は温かさを惜しみながら布団からベッドから出て、その手紙を確認する。それは母からの
もので、字がかろうじて読めるぐらいにそそっかしい字だった。
『緊急の用が出来たため今夜からやるわ。朝ご飯は自分で作っといてね』
「……」
 その内容に錬は呆気に取られた。自由奔放というか、なんと言うか。
 しかし、その内容を冷静に捉えてみると。
「俺、襲われていた可能性があったんだ」
 恐怖に囚われそうになるところで、疑問が生まれる。
〈吸魔〉は夜に1人でいると現れるらしいから、就寝中という絶好の機会を逃すはずがない。
けれど体に異常はない。何か話が食い違っている気がする。
 その時、物音が聞こえた。
「ん?」
 何かを動かすような音。誰かが物を動かしているのだろうか。しかしここには錬1人しかい
ないはず。
「……まさか」
 錬の頭に1つこの不思議を正確に導ける答えが浮かぶ。
 急いで自室の扉を開け放ち、リビングに辿り着いた錬はそこで絶句した。
「あ、おはよう」
 未来がいた。
 マントを脱いで、簡素な黒のTシャツとミニスカートをはいた〈死神〉が普通に何か料理を
していた。
「……」
 一瞬、錬の頭を空白が埋め尽くし、
「何やってんだお前はぁ!?」
 この上ない絶叫をした錬だったが、未来は気にせず笑顔を絶やさずに言う。
「ん〜? 別に君のご飯でも作ってあげよっかなって。本当はもうそろそろ起こそうかなとも
思ってたんだよ?」
 時計を見ると6時50分。確かに起こすならちょうどいいかも知れない。
 ……、じゃなくて。
「何でここにいるんだよ!?」
「あ、鍵かかってたけど入っちゃってごめんね」
「いやいやそこじゃなくて! (確かに入ってくるほうに疑問もつけど)なんで親がいない事
を知ってるんだよ!」
 未来は確実に錬の親がいないのを知っている。彼女の前にあるフライパンがその証拠だ。
「ああそれね。だってここに〈吸魔〉がいたもん」
 未来は当然のようにさらりと言った。
 は、とそれまで撒き散らすように叫んでいた錬の口が固まる。
「ここに……いた?」
「言ったでしょ。1人だと襲われちゃうって。なのに、いきなり反応が出るんだもん。それも
予想して君の家行ったら、いたしね。びっくりしたよ」
 未来はフライパンを手馴れた手つきで動かしながらあはは、と小さく笑っていた。
「一応何とかしたけどそれで今君は1人だって事が分かったの。だからずっと見張りでここに
いた、って言えば何とかなる?」
「そうなのか。んと……」
 あんまり理解は出来ていないが、とりあえず夜通し彼女を無理させてまで守らせてしまった
ようだ。
 錬はちょっと照れくさい気にもなったが、言う。
「その……ありがと。守ってくれて」
 未来は少し驚いたように3度瞬きをする。
 それから満面の笑みを浮かべた。
「うん。ついでにいろんな物壊しちゃったけど許してね」
 え? と錬はリビングを見回す。
 そこで二度目の絶句を体験した。
 リビングの家具が信じられない事になっている。棚には切り傷らしきものがおびただしくつ
いており、ソファーは刃物でやったような切れ込みとそこから綿が飛び出していた。その上、
ソファーの前にあったテーブルは真っ二つに裂けている。
 錬は目の前の少女を殴り飛ばしたくなってきた。
 怒りをどうにか押し殺す。けれど表に出さないだけで錬の表情はすでに憤怒に達していた。
「……どうするつもりだ」
「ごめんなさい」
 未来は頭を下げたが、その顔は確かに笑っていた。声の調子も高めで、本気で謝っているよ
うには見えない。
 それをきっかけにブチッ、と。錬は自分の血管が切れた音がした。
「ふざけんなぁ!!」
 錬は拳を握り、相手が女の子というのも忘れて顔面に叩きつけようとした。
 しかし、それは空回りする。
「あ……?」
 錬が間抜けた声を上げて、すぐ。
 錬は腕を力で捻じ曲げられ、フローリングの床に叩きつけられた。
「がっ……」
 思い切り殴られたような衝撃が襲い、錬は息を締め出すような声を漏らす。危うく舌を噛み
切りそうになった。
「殴りかかろうなんて野蛮だね」
 背中の上からの声。
 首をどうにか上げると、そこにはとても涼しい顔をした未来が錬をまたがっていた。
 どうやって動いたのか錬には想像もつかない。しかし……もしこれが『動いた』というもの
なのならこれは人間が成せる技じゃない。人間が目で追えない速度で動くのは無理な話なのだ
から。
 これが〈死神〉の本質なのだろうか。
「ぐ……」
 錬は脱出しようと試みたが、体重を乗せられて固く締められた体は全く動かない。 
「私も悪いよね。家財まで守れなかったんだから。けどね、私も必死だったの。君に近づけな
いようにと頑張っていたんだよ?」
 未来は謝罪の時とはうってかわり、今にも泣きそうだった。
 それを見ていると錬は変な罪悪感を覚え、自分が死なずに済んだのだからいいじゃないか、
という今までとは逆の考えが浮かんできて、抵抗の意思を留めた。
 気を落ち着かせると、どうも気になる。
「何でさっき笑ってたんだよ」
「君の怒った顔が笑えたの」
「……」
 ちなみに、錬の激怒の表情は足がすくむ迫力だ(和真談)。
「怒る俺が馬鹿馬鹿しくなった。とりあえずどけ」
 未来が馬乗りから解放し、錬はとりあえず立ち上がって服を払う。
「まあ、君の非は私のせいでもあるから許すとして。ご飯できたよ」
 あくまでも自分せいだと認めない未来を無視して、錬は時計を見た。
「時間の余裕は……あるな」
 7時10分を少し回ったところ。朝食ぐらいの量ならすぐ食べられるだろう。そんな事を考
えながら錬はテーブルについて、パンを1かじりした。
「あぐっ、そういえばお前も腹は減るのか?」
「空かないよ。でも食べる事は出来る」
「……食べたものはちゃんと出せるのか?」
「そういう下品な発言はしないで」
 軽く諭されている間に、パンを平らげた錬は目玉焼きに箸を伸ばす。心の中で何も食べなく
ていい未来を羨ましく思ったりする。
「他にも〈死神〉ってなんかあるのか?」
「そうだね……。まず温度を感じない。次に何も食べなくても生きられる。後眠る必要もない。
で、最後に人に存在を感じられない」
 損得があって、錬は素直にいいなぁとは言えなくなった。
 喋らない事で場を悪くした気になって、錬は繕うように言う。
「眠らなくていいんだ」
「そう。だから寝床は困らないの」
 昨日の発言の真意はそれか、と錬は解釈する。確かにそれなら寝ている間に襲われるなんて
事はなさそうだ。ついでに見張り続けられた理由も分かった。
「霊感ある人は感じるんだな」
「そう。でも君は霊感がない。不思議だよね〜」
 未来はきらきらした目を向けてきた。と言われてもそれのせいでこんな事件に巻き込まれた
のでは、と錬は悲しくなる。
「……と言っても実際はそうじゃない。こうやって事件の関係者と関わる時に姿見えないんじ
ゃどうにもならないからね。ちょっとある事をして姿を一時的に感じられるようにするの」
「この前の魔法みたいなものか?」
 初めて出会った時の、死体の存在自体を消すために使った、あの五芒星を用いた陣のような
もの。明らかにこの世のものじゃなかった。
 しかし、未来は首を振った。
「違う。〈死神〉はある事が許されていて、それを使っただけ」
「ふ〜ん」
 よく分からない。
 全てを平らげた錬は自室に行こうとして、ふとある事を思った。
「俺はこれから学校だけど……お前はどうするんだ?」
「私はちょっと調べてくる。早期発見が被害を最小限に抑える方法だからね」
「そうか」
 まさかどこぞかの展開曰く学校に転入してくるのでは、と思った錬はその言葉に安心となぜ
か寂しさを覚えた。
 とりあえず制服を着て、錬は鞄を持ってリビングに戻る。未来はテーブルにひじをついてぼ
け〜としていた。
「今頃だが……親は今日含めて5日いないけど、その間ずっといるのか?」
「ん〜、そうだね。楽だし」
「……」
 変な階段を上った気がする。
 1人で退屈なところに美少女が来て嬉しい反面、何かとんでもない厄災が起きそうで不安で
たまらない。
「まあいいや。んじゃ行ってくる」
「あ、待って待って」
 玄関の扉のノブを掴んだ錬を呼び止めて、未来が廊下を走ってくる。
「何だ?」
「絶対帰り道1人にならないでよ?」
「……えっと」
 錬は素直には頷けなかった。
 1人になってはどうなるかは聞かされている。しかし、帰路はどうしても1人にならないと
いけない。途中までは同じ道を通る知り合いがいるからいいのだが、別れる所から家までの距
離は長い。
 それを伝えると、未来はすぐに答えを出した。
「なら、そこに私が行くよ」
「……、え〜」
「え〜じゃない。死にたいの?」 
 何だか小さい保護者が出来た気分になって、自分が情けなくなっていった。
 しかしそれしかない。あの道は暗くなると人通りがめっきりなくなってしまう。
「……分かった。それじゃあな」
「うん。いってらっしゃい」
 未来の優しい一声を背中に受け、錬は扉を開ける。
 昨日はあれほど寒かったのに、今日は草木が伸びてきそうな陽気だった。
 自分が死ぬかどうかも分からない、そんな心配も溶かされていきそうだった。





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