「なっ……!」
 雷牙は全身が固まった。
 こつこつ、と足音がしている。高そうなこの音はブーツを履いているようだ。そんな靴を今
はいて、この隠居した部屋にやってくるのは決まっている。
 警備員が異変に気づいてやってきたのだ。
「くそっ!」
 隠れるしかない。見つかったら即終了だ。
 だが、どこに?
「下だ!」
 椅子を引いて、雷牙は滑り込むように机の下へと潜り込む。雷牙の体がすっぽり机に収まっ
た時、ちょうどその警備員がやってきた。
「むっ……」
 警備員がここへ来て言葉を失っている。あまりにも悲惨な状態のこの部屋に驚いたのか、それ
とも見つけたい者がいなかったのか。
 こつこつ、と今目の前にいる警備員とは違う足音が聞こえる。どうも、ここにいるのは1人
ではないらしい。
「どうでした? 侵入者はいました?」 
 さっきの図太い男の声とは真逆の、冷めたように冷静な女の声がする。
「いや、出て行った形跡はないのだが」
「入り口付近を調べたのですが、やはり誰もいませんでした。今は3人が捜索しているのです
が、おそらくは見つからないでしょう」
 まったく、と女が肩を動かすのが見える。 
 雷牙は机の下で、這うように腹を床にくっつけてびくびくとしていた。もしここで下を覗き
込まれたら、それで露になってしまう。
「ちなみに、下は覗きましたか?」
 雷牙はビクッと痙攣したように体を震わせ、嫌な汗が噴き出してくる。
「いや、侵入者も机の下は隠れんだろう。そんなところに身を潜めても、この位置から確認で
きる」
 そこまで馬鹿じゃないだろう、と男の警備員は言う。
 ちなみに、この机は脚と脚を繋げるような分厚い板があるため、かがまないと中を確認する
事が出来ない。雷牙はそれのおかげで救われた。
「そういえば、侵入者の姿は?」
「特定は出来ません。ただ、服装にあったマークからして、アレクトロの人間だと思われます」
「なるほどな。どうりであそこを突破されたわけか」 
「ええ、並みの泥棒ならあそこでばらばらになりますからね。ああなられると死体の処理が面
倒でして」
 物騒な会話が聞こえる。どうも、あそこでは何人も泥棒が忍び込んでは体を解体されたよう
だった。
 雷牙は身を潜め、呼吸する回数さえ減らす。
「何が狙いだったんだ?」
「おそらくは、この本かと」
 女があの本を手にとったようだ。かすかな揺れが、机を伝って雷牙に届く。
「なんだそれは?」
「『真実書』と書かれていますね。おそらく、裏歴史を知ろうとしたのでしょう。――あら?
しわがよっていますね」
「なんだ、その裏歴史って?」
「あなた図書館の人間ですよね?」
 あはは、と男の作り笑いが耳についた。
 ぱらぱら、と。適当にページをめくる音が届く。
「本来は普通の人間が見てはいけないものなんですよ。教えられていた事と全く違う事が書か
れていますから」
 ページをめくる音が途切れ、机の上に本が置かれる。「例えば、原子崩壊(メルトクライシ
ス)の本当の理由とか」
 男は心底驚いたように声を上げる。
「俺も中身は見てはいけないのか?」
「ダメです」女はぴしゃりと言う。「これは最重要機密事項ですから。おそらくは、知った人
は必ず抹殺されます」
 男が息を呑む。
 雷牙の手が恐怖の汗でしめる。雷牙はそれを知ったから、ここにいる人間に抹殺されそうに
なっている。
「侵入者が分かりました!」
 第3の声が遠くから響く。「侵入者の名前は、譜堂雷牙というそうです」
 雷牙の全身が強張る。
 ばれる事は分かっていたが、表に出られなくなるのは辛い。
「何ですって……」
 女の声が驚きで震えている。「何で、あの人がそんな事を……」
 雷牙はなぜ女がそんな反応を取るのか分からない。雷牙は少し頭をひねって……思い出した。
  この声は、昼間にあったあのメンバーのものだ。
「知り合いか?」
 男が心配そうに尋ねる。
「ええまあ。一応は親交があったものですから……」
「アレクトロの人間だったな。もしかしたら任務と関係があったんじゃないか?」
「どんな任務を受けているのか、それは上司でもない限り教えてもらえないのですよ」
 声に失望が混じっている。そこまでなるほど、雷牙は善意のある少年と思われていたようだっ
た。
 裏切って申し訳ないと思いながら、雷牙は抜ける機会を窺う。
「で、どうするんだ?」
「決まってます。捕まえますよ。それが役目なんですから」
「慈悲というものは?」
「ないです」
 そうか、と男は簡潔に片付ける。
 彼女から沸き起こる感情を読み取ったかのようだった。
(どうかな……)
 今は任務を遂行するといったが、彼女の心はやられているようだった。それが自分のせいだ
と分かっていても、それを逆手に取った方がいい。
 男は1人。男のいる位置とは真逆から出て行けば、その男は雷牙を捕まえられないだろう。
(玄関には3人だっけ……)
 3人いるとなると辛くなる。1人を相手にしても、残った2人が押さえに来るだろう。その
逆でも、おそらくはやられる。
(土壇場で行こう。……それ!)
 雷牙はタイミングを決めて、ねずみのように机から飛び出した。
「あ、待て!」
 男がでかい声で叫ぶ。だが、机をはさんでの距離では追いつかれる事はない。雷牙はそのま
ま駆け抜いて、玄関に向かう。途中踏みつけた本が、クシャ、と音をたてた。
 扉が粉々になった玄関には、男の声を聞いたのか既に3人が木のように立ちはだかっていた。
構わず、雷牙は突っ込む。
「邪魔!」
 雷牙はそのままの勢いを乗せて、3人にタックルして外に弾き飛ばした。
 うぅ、とうめき声をあげているが雷牙は気にしてられない。そのまま裏書物室から全力で逃
げた。
「待て!」
 そのすぐさまに誰かが追いかけてくる。声からして、会話していたあの男だろうか。遠くか
らでも聞こえる足音が、その男の力強さを物語る。
 雷牙は口元をゆがめ、振り向かずに走った。
 行きに患った痛みなどをこらえ、出来うる限りの全力疾走。少しでも速度を緩めたら、一瞬
でお陀仏だ。
「逃げるな!」
 男の怒声が空気を伝って届いた。
 逃げない人がいるわけない、と心の中で叫びながら、雷牙は依然前だけを向いて出口に向か
う。踏み込むたびに、足が痛覚を伝えた。
 それから全く男の声がしなくなる。訝しげに雷牙が後ろを振り向くと、男は立ち止まって何
かを込めていた。
 それが弾薬をつめるものだと、気づいたのは向けられた直後だった。
「!!」
 雷牙は咄嗟に体を右に回転させる。同時に発砲音が響き渡り、雷牙のすぐ脇を流星のごとき
弾が過ぎ去った。
 そらせた体は反動で男の正面に向いた。男は立ち止まり、ふん、と鼻を鳴らした。
「やっと止まったか。おとなしく降参しろ」
「嫌ですね。捕まったら終わりですから」
「降参した方が身のためだと思うが? 機密事項に触れたんだ。逃げたら牢獄に放り込まれる
ぐらいじゃ済まないと思うが」
「とっくに済みません、よ!」
 この男が銃弾を放った時、あれはなんの属性も付いていない普通の弾だった。それは相手を
殺す時にだけ使うもので、それは殺害宣告と同じようなものだった。
 雷牙は男の懐に素早く潜り込み、その腹を殴り上げた。
「ぐふっ……」
 男が締め出された息を吐く。雷牙はその間に足でその横腹を蹴りつける。男は真横に吹っ飛
び、廊下の壁に体を強く打ち付けた。
 男が体勢を作り直す前にけりをつけようと雷牙は接近する。しかしそれよりも先に、男の手
が雷牙の襟首を捉えた。
「がっ……」
 その瞬間に、雷牙は宙を切るような感覚を味わった。
 そのすぐ後に強烈な打撃がめぐった。壁にぶつけられて、ガゴン、と重量あるものを落とすよ
うな音が響き渡る。火傷でもともとやられている体には、それは普通の何倍よりも辛い痛みに
感じた。
 雷牙は激突した所でもろく崩れ落ちる。
「てこずらせやがって」
 怒りが混じっているような声を出し、男は再び銃を握る。人を死に追いやる銃口は、雷牙の
眉間に定めれていた。
 雷牙は不安定な意識の中、必死にバッグの中からあるものを探す。その間にも、男は武器の
引き金に指をかける。
 目当ての物を探し当て、雷牙は即座に引き抜き男に向けた。
 そして、雷牙は迷わずエスパーダの引き金を引いた。
 男は顔が引きつるよりも先に衝撃で吹っ飛ぶ。その遥か彼方でドシャ、と生ものを落とすよ
うな音を最後に何も聞こえなくなった。
 一応は雷弾を放ったため死んだと言う事はないだろう。しかし、それでも胸に直撃したため
どうなったかは判断出来ない。
「すみません……」
 雷牙はかすれたような声で謝る。
 自分の罪を、それで一思いに表すように。
「こうでもしないと、変えられないのですよ」
 男を置いて、雷牙は走る。これ以上追手がこないうちに早くと、全霊を込めて出口に向け、
地面を蹴り続けた。
 火傷や打ち付けられた痛みで苦の表情をする雷牙。そこに、一筋の光が差し込んできた。そ
れが出口だと気づき、最後の力を出してそこに飛び込んだ。
 だが、通路の出口、管理室で見たもので、雷牙は心臓が止まったような気分になった。
 なぜ、ここに人がいて、銃口を向けられている? 
 雷牙の思考が止まった瞬間に、
 パン! と乾いた音が炸裂する。
「う、ああああああ!」 
 雷牙は右足のすねを抑えて苦しんだ。抑えた手は、一瞬にして真っ赤に染まる。撃たれた
箇所が、焼けた鉄を押し付けられたように熱い。
 そこにいる、雷牙を撃った人間は何も言わない。
 何も言わないまま、銃口を雷牙の額に向ける。
 それが引き抜かれる前に、雷牙はその銃を震える腕で払い飛ばした。カラン、と空回りする
音をたてて銃は奥へと滑っていく。
「動くな」 
 フードをまぶかにかぶった人間の冷徹な声が、周りを満たす。銃を失ったにもかかわらず、
その人間は冷静だった。
 雷牙は体が動かなくなった。冷徹な声に身が凍らされた気分だ。
「ふざけ、るな……」
 それでも、雷牙は搾り出すように声を出す。
「何をそこまで……遮る必要があるんだよ……」
 頭が錯乱する。視点も定かではない。体の力ももうないのかもしれない。だがそれを無視し
てまでも、雷牙は聞きたかった。
 それでも、男は反応すら見せなかった。
 そして体が保てなくなり、ドサッと雷牙が倒れこんだ。
「ああ、そうだ」
 目の前の人間は鋭く返す。
「知ったからどう動くんだ? お前は」
 そしてどこから出したのか、再び銃を握っていた。その銃口は、迷わず雷牙の眉間を狙って
いる。
 雷牙は今ので力尽き、動かなくなっていた。既に打ち身や火傷を追いながらも放置し続けた
体は悲鳴を上げ、いたる器官を狂わせていた。
「……、じゃあな」
 引き金に、人間の指が添えられる。
 その時、死と直面した雷牙は、かすかな意識の中何かに吸い寄せられるような感覚を味わっ
た。

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