中は音が一切しなかった。
雷牙はなるべく音を出さないように息を殺し、ゆっくりと足を動かしている。
今は人の気配は無いが、もしかしたらどこかをうろついているかもしれない。そのために、
早く動くには危険なのだ。
かといって遅すぎても同じだ。セキュリティーが解除されているという異変にだれも気づか
ないはずが無い。遅すぎれば必ず誰かが来て見つかる。
「今は北に本棚2つ分か。次は南だね」
手に持っている端末の地図と本棚の分類とを照らし合わせ、雷牙は方向を見失わないように
する。
雷牙はどこにいくかは決まっていた。もちろんそれは裏書物室だが、そこにつながる通り道
はこの地図には載っていない。だから、管理人の目が行き届きやすい所にあるはず。
雷牙はそれに当てはまる部屋――管理室の扉を小さく開いた。きしんだ音が、その扉から発あさきゆめみしせられる。
中は誰もいなく薄暗い。電気をつけようかと雷牙は一瞬思ったが、それで誰かに見つかると
いけないので止めた。
「さて、次は……」
雷牙はその裏書物室に繋がる道をくまなく探す。とりあえずは普通に目で見渡す事が出来る
ぐらいに。
だが、特に変わったようなものは無く、机の上や床に書類が無造作に散らばっている事しか
確認出来なかった。詳しい所も見ていったが、どこもかしこも同じような状況で、何か動かす
ようなスイッチなどどこにも見当たらない。書類の中に埋まっているのかと思い雷牙は書類を
散らばしていったが、結局何も見つからなかった。
「……う〜ん」
雷牙は行き詰まり、自分の髪をくしゃくしゃにする。
どこかにボタンぐらいあってもいいだろうと訴えたくなるが、普通は立ち入られる事を防ぐ
ために隠しているのだ。そう簡単に見つかったら何にも実らないだろう。
どうしようか、と雷牙はかき回していた手を止める。
その時に、雷牙は入り口の開け方が赤外線だった事を思い出す。
「大体は同じ方法でやっているんだよね……」
コストやめんどくさいなどの理由からセキュリティーは全部統一されている事が多い。ここ
だって、雷牙の見た限りでは同じセキュリティー形式だったはずだ。
今度は、どこからか赤い線が出てないかを探してみる。
書類の中からその光を探す。本棚からも赤い線を探し、机の上にある置物からもその赤外線
をくまなく探す。
と、雷牙はある物に目が留まった。
それは1枚の写真が立てられているものだった。大人2人で写っている写真で、2人共にか
なり若そうだった。
写っている人はどうでもよくて、と雷牙は写っている女の目の部分を見る。
「赤いね……」
よく写真写りでタイミングがいいと目が緑になったり赤になったりする。しかし、この写真
は片方だけが妙に赤い。
雷牙は近くにあった薄い紙を、その写真の女の上にかぶせる。すると、その紙に赤く小さい
点が表れた。
「これだ。ここから光が出ている」
今頃だが、この部屋はどこか煙がまとっていた。おそらくは光を見えなくするセキュリティ
ーの一種だろう。
雷牙は写真を回して裏を向ける。そこには黒い上下式のボタンがついていた。雷牙はそれを、
下から上へと押し上げる。
途端に、奥のほうからガコンと仕掛けが動き出す音が聞こえた。
振り返ると、本棚が横へと少しずつ動いているのが分かった。その奥には、真っ暗でどこま
でも続きそうな空間がある。
それが、裏書物室への通路だろう。
雷牙は息を吐き、あせる気持ちを整える。安らいだと思えた雷牙は、その何が起こるか分か
らない闇の世界へ1歩踏み込んだ。
たったそれだけでも、異様な質の空気が流れ込んでくる。
「っ、何、このにおい……?」
雷牙は空気に入り混じる異質に耐え切れず、頭を押さえてその場から動けなくなる。頭まで
はっきりとしなくなってきそうだった。
これは臭いとかそういう問題ではなく、一言で表すなら刺激臭と言った方がいい。鼻を本当
に捻じ曲げるぐらい、そのにおいが強い。
雷牙は左手を壁につけて、指示が行き届きにくくなった膝を伸ばして、異臭の空間になんと
か立ち上がる。視界ははっきりとしない。
雷牙は元素なら消失させる力『元素破壊(メルトブレイク)』があるが、それは今使う事は
出来ない。
理由は、この空気の質にある。普段気化した物体なら『風』の元素扱いになるため消せるの
だが、それは単一によるもののみだ。このいろいろな薬品が複合して出来たようなこの空気に
通用しないのだ。
「……くっ」
とにかく先に進まなければならない。雷牙は帰りたいと叫号する体を自ら追い詰めて、ふら
つきながら目的地を目指す。
足取りは悪い。雷牙は今にも転びそうだ。
「く、そ……、また、役に立たない……」
雷牙は心から自分の無意味な力を憎んだ。
ただ破壊するだけ。それもかなり限定されたものだけ。人を変える事はおろか、自分さえ辛
い状況から抜け出す事が出来ない力。
本当に、なぜこんな力を持ったのか疑問に思う。
無駄なのに。あっても何も得しないのに。
視界がかすんできている雷牙の目線に、1種の赤い光が点となって表れた。
「……?」
それがなんなのか不思議に思ったのと同時、
その光が線となり、廊下の両端を繋いで、雷牙の足元へと高速でやってきた。
「!!」
身の危険を感じた雷牙は、その場ですぐに地面を真上に蹴る。雷牙が宙に浮いたと同時、そ
の赤い線は雷牙のすぐ下方を通り過ぎていった。
着地すると同時、今度は首を狙って赤の光線が迫り来る。
雷牙はしゃがんで、その光線が頭上を過ぎて背後へと流れていく間を見続けた。赤い線は遥
か後方に流れると、途端に闇に溶け込む。
「光線!」
雷牙は頭痛の激しさも忘れて、目の前の光線を避けるのに必死だった。
通路あたりからセキュリティーが厳重になるのは危惧していた。ただ、それが『人を追い
払う』設備ではなく『人を惨殺に追い込む』設備という事は予期出来なかった。
ずらして襲い掛かる光線を、雷牙は1本目は前に飛び込むようにしてかわし、胸を狙う光線
はそのまま床を転がってかわした。
すぐに体勢を整え、雷牙は前へ駆け出す。
光線が使える範囲はあるはず。その外に出てしまえばお終いと雷牙はふんだのだ。
それを阻もうと光線が1本接近してくる。それを雷牙は地面を蹴り上げてよける。光線は飛び
跳ねた瞬間に足を通り過ていく。間一髪だった。
着地と同時に踏み込む。それと同時に光線も生み出されていく。雷牙は再び首を狙った光線
を、首だけそらしてかわした。
「……」
雷牙は目だけで先を見る。
光線は今は無い。今なら駆け出せば抜けられるかもしれないが、どこから光線が生み出され
てるのか分からない挙句、雷牙が動くと襲い掛かってくる。無駄に動けない。
すなわち、どこかに雷牙の動きを感知するセンサーがある。
「どこだ……」
雷牙は頭を使う。薬品の毒がまだ疼くが、かまっては入られない。
視力は頼れない。こんな真っ暗の中に光を出していないセンサーが見つかるはずも無い。
雷牙は目を閉じた。狼と戦った時に使った探し方だ。
漆黒の中に紛れる音を鋭く察知する。ここは無風状態なので、かすかな風の音も耳に障る事
が無い。ヂヂヂ、と小さな音。その場所は、
遥か前方。その斜め上だ。
雷牙は目を閉じたままバッグからナイフを取り出し、それを音がする方向に投げた。
長い距離にもかかわらず、ナイフはセンサーを確実に捉えた。バチバチ! と電気が散るよ
うな音がする。これでセンサーが作動することが無いだろう。事が去って、雷牙はふぅ、
と息を漏らす。
だがすぐさま、自分が火花を散らしてしまった事に気づいた。
雷牙が声をあげるよりも先に、ゴッ、と何もかもをはじけ飛ばすような轟音と共に、紅蓮の
炎が渦を巻いた。
気体となった薬品が、雷光で飛び散った火花で引火したのだ。
「――!」
全てを取り込み焼き尽くすような爆風は、見ただけで自分がどうなってしまうのか分かる。
呑み込まれれば、体は無くなる。
雷牙はコートを脱いで体をくるませた。全身がすっぽりと入るように身を丸め、黒字の布を
隙間が出来ないようにかける。
それは爆風が雷牙に届くまでの、わずか3秒の行動。ほぼ反射的だった。
雷牙の全身が隠れたのと同時、熱風は全てを取り込んだ。
「っ……」
熱い。
だが、それで焼き焦がされる事はない。
このコートは防水加工がされている上、化学繊維を織り込ませて防火対策にも適している。
それ故に、これで身を守れば燃え尽きる事などない。それでも、エネルギーが強いこの爆発は
完全には防ぎきれないようだった。
爆発により発生した突風もどうにもならない。今にも吹き飛ばされそうな風に雷牙は足を釘
のように打ち付けて耐えた。
熱が引いていくのを見計らい、雷牙はコートから這い出る。まず感じたのは、異常なまでに
高温な廊下だった。
「暑い……」
熱帯地獄に頭がくらくらする。
まるでサウナそのものだ。体にべっとりつくような湿った風をもろに受けている。遠くの方
では、蜃気楼の現象まで起こしている。
早く進まないと誰かが来てしまう。そのもだえるような熱の廊下を雷牙はゆっくりと、本当
に死人のような足取りで動き出した。
その時、雷牙は所々にピリッとした感覚を味わって足を止めた。どうやら、いたるところを
火傷したようだ。
「……」
分かった所で治せる事もない。雷牙は痛みを感じながら再び歩きだした。
熱気が纏わりつき、体温が異状に上がっていく。
「体が……もたなそうだ」
雷牙に不安が芽生える。
薬品で頭を毒され、光線を避けるので体力を使い、その上今の爆熱風でやけどやら衝撃やら
を加えられた体だ。今すぐに治療しないと本当に息絶えてしまいそうだ。
それでも、このチャンスはもう2度と巡ってこない。セキュリティーがハックされたことに
気づかれて、コードを変える可能性が十分あるからだ。
そんなことをされれば、もうここには入る事さえ出来ない。
そうなれば、もう真実は永久に閉ざされる。
「嫌……だね」
もう隠されていくのは嫌だった。
もう何もかも。正しいのかそうでないのか分からないまま、暗黒に溶け込んで誰にも伝わら
ないようにする事が。
それが自分に有益なのかも分からない。それでも、確信は持ちたい。
今しているのが、正しい事なのだと。
体の内側から沸き起こる悲鳴を無視して、雷牙は歩みを止めなかった。
やがて、目前に木の扉が入る。
「あそこかな……」
そのさっきの爆炎で焼き焦がされたように黒く煤けた扉は突き当たりにあった。そのほかの
場所を見ても、どこにも扉のようなものは見当たらない。通り過ぎて行った、ということもお
そらくはない。
扉を開こうとノブに手をかける。その時、まるで焼け石に触れたような熱さが手から伝わっ
てきた。
雷牙は驚き、慌てて手を引っ込める。
「……さっきの影響かな」
あれほどの爆発だ。おそらくは廊下全体に行き渡り、管理室の方まで届いただろう。生じた
熱はこの扉にも伝わって、それがこのノブの温度を急激に上げたのだろう。
確かに熱いが我慢出来ないものではない。雷牙はコートで手を包み、それでも遮れない熱に
苦しい表情を浮かべながらノブを回した。
扉を開いてまず見えたのは、乱雑にばら撒かれた本の山だった。
「うわぁ……」
雷牙はその事件が起きたような光景に言葉を失う。
やっぱり爆発で起きた衝撃のせいなのか、四方八方に本がばら撒かれていた。もともとそこ
に収めていたのであろう本棚は大破して、本の上にかぶさるように木の破片が振りまかれてい
る。びりびりに破けた本もあるようだ。
とりあえず、目的の本を探す。名前は分からないにしろ、案外その本はかなり目立つように
一際輝いたカバーで内容を守っていた。
真実書。
雷牙はこれだ、と確信した。
机の上にあるごちゃごちゃした物を振り落とし、雷牙は腰掛けてそれを目の前に置く。
真実書と表紙に記されているその本は、全体が黒に包まれてタイトルだけが白地になってい
た。他の本と違い、内容だけに意味があるといっている。
まじまじとそれを見つめると、どこか悪意がまぎれているようにも感じた。
「これに、載っているのか」
彼女の秘密が。
この世界の秘密が。
それを記述された本を目の前にすると、正直怖くなる。
「踏み込んでいいものか、いけないのかどっちなのだろうか」
ここまで来て、雷牙は躊躇した。
雷牙はその答えを知らない。
だが、その答えは自分で決めていいはずだ。
雷牙は、今までに無いぐらい息を吸い覚悟を決めた後、その本の表紙を開いた。
そして、そのページから記載されている文章に、思わず雷牙は息を止まった。
『エルアール・グレイセスと、世界の破滅との繋がりについて』
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