「!!」
思わず、雷牙は近くの棚に身を隠した。
「警備員かな?」
身を潜めながら、雷牙は様子を伺う。
閉館直後からしてそれを疑ってもいいはずだが、どうも違うような気がしていた。この落ち
着いた足取りは、どこか聞いた事あるような気がした。
辺りに響かせる靴音はどんどん遠ざかっていく。それが完全に聞こえなくなって、初めて雷
牙に安堵が流れ込んだ。
「ともかく、誰にも見つからないように出ないと」
本棚から体を出した雷牙が出口へと動き出すと、またこつこつと感覚が早い足音が近づい
てくる。
どうにもそれに少なからず不信感を抱き、雷牙は近くの机の下に身を潜ませた。
なぜ隠れなきゃいけないんだ? と自分につっこみをいれながら、雷牙はその音源が彼方ま
で遠ざかるのを待つ。
消えたのを確認して這い出ると、またすぐに足音が耳に届いた。すぐさま雷牙は同じ机に
体を隠す。
今度は足音の間隔が立て続けで、いつ切れるかさえ分からない状況だった。足音を聞いてい
る限りで、10人以上はいるんじゃないかと思ってしまう。
「しかし、なんでこんなに?」
机から外の様子を確認しながら、雷牙は頭に疑問符を浮かべていた。
いくらここが地方1番の図書館でも、こんな何十人ものを動員して守る必要なんてさらさら
ない。しかもここは最高の性能を持つセキュリティーが働いているので、いて2人ぐらいで十
分なはずだ。
音が完全になくなって、やっと雷牙は机から体を出す事が出来た。
ふぅ、と雷牙は一息つく。
その瞬間、雷牙の背に悪寒が駆けずり回った。
「……」
思わず後ろを見る。だが、そこには何も無い。ただ単に遠くから離れていく足音が聞こえる
だけだ。
それでも、その何も無い空間には、何かいる。
いつ足音がやってくるかわからない。雷牙は一思いに息を吸って心を引き締め、暗闇の通路
を全力で駆け出した。
見えない空間を走るのは怖い。いつどこに物があるのか把握できず、いつの間にけつまづい
て転んでしまうかもしれない。
それでも雷牙は疾走する。見えない壁をぎりぎりで見分けて避けて、廊下にある高積みにさ
れた本をかわしながら走っていく。
視界は目がなれた分しか見えない。あとどれだけ走ればゴールかなんて、雷牙には全く分か
らない。
「はぁ、はぁ……」
雷牙の息遣いに、少しずつ粗が見え始める。
苦しくても雷牙は足を止めない。とにかく走り続ける事が今すべき事だと感じている。
まだ先は見えない。もがくように雷牙は走り続けた。何か恐怖を感じ、それから脅えて逃げ
るように。
やがて、雷牙の視線に、カウンターのような机が写り込む。
そこを目指すように雷牙は駆け続け、たどり着いた机に手を置いて、どうしようもないほど
荒くなった息を無理矢理整える。
「……、う、後ろは」
疲労が満ちた目で雷牙は後方を見るが、そこには黒い空間しか写っていない。何も追いかけ
てなどいなかった。
しかし、雷牙は感じていた。後ろから、何かから鋭い目つきで睨まれた感覚になったのだ。
「まあいいや。ここは開くのかな?」
なんとなく雷牙は出られない気がして心配になった。普通なら、この場合ロックがかかって
しまうのが当たり前。
雷牙は機械類をいじくってみる。案の定、機械の動作は全て切られていた。当たり前に本当
になっているのが、本当に怖い。
「……で、どうするの?」
目の前の絶望から背けるように、雷牙は後ろを振り返る。
さっきからこつこつと響き始めている足音は、全て同じ方向へと流れていく。なぜだか、そ
こに雷牙は興味を持った。
「とにかく、ここにいてもしょうがないか」
足音の正体が警備員だったら事情言えばいいし、と楽観的に雷牙は考えて、流れていく音の
先へ進んでいった。
コツン、と雷牙の足取りが、大理石の床を鳴らす。
「だけど……、警備室ってこっちだっけ?」
雷牙は自分の進める方向に疑問を持つ。
雷牙が道に迷ったというわけじゃない。足音が流れていくその先には何もない。したがって、
警備員ならこの先に進むはずが無い。
だが、泥棒が入ってきたとも考えにくい。さっき調べたようにここは厳重な警備がある。そ
こに何十人も泥棒が入れるはずも無い。
その時、雷牙歩く廊下の先にかすかな明かりが灯っている事に気づいた。
「何があるんだろう」
雷牙は危険を考えず、吸い寄せられるように足を動かす。進むにつれ、辺りに響く足音が大
きくなっていった。
こつこつと、等間隔に耳につく音が癇に障る。
「……こ…………うい……」
やがて、かすかな声が足音に混じってきた。
「い………………おも………」
しかしそれは遠すぎて、何を話しているのか聞き取れない。
「もっと近くに行こう」
忍び足で、会話の主に気づかれないように雷牙は近づいて傍の本棚に身を隠す。そこから顔
だけを出して、何をしているのか覗いた。
明かりに照らされ、会話の主がはっきりと浮かび上がる。
「!!」
その正体に思わず、雷牙は風を切るような勢いで顔を引っ込めた。
「なんで……、カムイさんが?」
1人の男の、あの光を受けた白い髪は間違えるはずの無い。明かりで捉えた会話の主は、紛
れも無くカムイだった。
カムイがなぜ、こんなところにいるのだろうか。
もう1人は分からない。この空間の闇に溶け込むかのように、漆黒のスーツに身をまとわせ
ていた。
「もう1度聞く。もうここには人はいないな?」
カムイの声が、さっき接した時と違って氷のように冷たい。いうなれば、雷牙がルアの話を
した時と同じ声質だった。
「ああ。人の気配はあったが、追い払った」
「ほう? 今の時間にも人がいたのか。警備員なんて誰もいないはずだろ?」
「最初は私も驚いたがな。まあいいだろう。今はいないはずだから」
部外者がいる事を気づかずに、2人は会話を続けていく。
「もちろん、あなたの言う事に嘘は無いな?」
「当たり前だ。俺の力をなめてもらっては困る。俺の幻覚は効果的だったぞ」
漆黒の男の台詞に、雷牙は息が止まる。
さっき後ろから見られていた感覚は、この男の力によって生み出されていたのだ。あれを本
当に人間が見たと思っていた雷牙は意表を突かれた気分になる。
「……まあいいだろう。それで話なんだが」
「ああ。どうするんだ?」
「どうしようもないさ。失敗した事にはな」
「失敗か……どれだけ重い失敗なんだろうな……」
ぶつぶつと、カムイは悔むように呟いている。
「それで、結局時間はいつなんだ?」
そう言ってためらうように、男は口を閉じる。
何だ? と雷牙がその続きについて興味を持ち始めると、
「彼女の……エルアールの限界は」
漆黒の男は言った。
確かに今、躊躇するように、エルアールの限界と言った。
(ルアの限界……?)
雷牙は背中を本棚につけながら、それでも顔だけを本棚の外から覗かして聞いた。
その言葉の意味を、雷牙は理解できない。
ただ、その意味が良からぬ事だとはすぐに分かる。
「分からない。けど期日は近い」
カムイは言葉を繋げる。「それがどの日なのかは書かれてはいない。けれど、もうそろそろ
だと私は思う」
それから下を向く。長く白い前髪が顔を覆い、表情を全く見えさせなくする。
「あの時と同じように……」
今、カムイがどんな気持ちを出しているのか分からない。
ただ、体が震えていた。
それを押さえ込むかのように男はカムイに近寄って、ポン、と軽く肩をたたく。まるで、同
情でもするかのように。
「お前が責める事ではない。仕方なかったんだよ」
「仕方ない……?」
「そうだ。お前はあの時何も出来なかったのだろう? なら仕方ないとしか片付けられないだ
ろう。今回だってそうなるんだから、思いは捨てるしかないん――」
「捨てられるはずがないだろう!」
カムイの激昂が周囲に轟く。その声は、一気にして館内全体にまで広がったような気さえ
した。
漆黒の男は、差し伸ばしていた手を引っ込めて、頭を下げる。
「捨てられるはずがない。あの子は私の、私の……」
「……すまない」
男が頭を下げる。「お前がどう想っているのか分かってやれなくて」
カムイはその時腕で顔を拭った。雷牙は気づく。カムイはさっきから、涙を流していたのだ。
「私はこの方法が最善とは到底思えない。今もそうだ」
「……だからと言って、他にどんな方法がある」
男は気持ちが高ぶっているカムイを諭すように、冷静で冷淡に言う。
「結局はあれが最も良かったんじゃないか。エルアールを殺さなければいけないのがそれが最
善だ。お前が嫌うのは分かっている。だが、他に何も方法などないのだ」
雷牙は今の会話を呑み込むように聞いている。
ルアを殺す事が最善だと、漆黒の男は言っている。
なら、その最善だと思う理由は何だ? 本当に他はないのかと雷牙はその男に聞きたい。
だが、表には出られない。今の雷牙は立ち会っているのではなく、ただ盗み聞きしている他
にならない。
「……、」
カムイは長らく黙り続け、
「捨てるしか、ないのか」
全てを割り切るように、そう言い放った。
「それより、あの本は?」
「あの本なら裏書物室にある。表なんて出すはずがない」
「出したら終わりだ。世界の真実を知られてしまうからな」
興味深い言葉がカムイの口から出て、雷牙は詳しく聞こうと身を乗り出す。しかし、誤って
ザッと足を擦る音が漏れてしまった。
「誰だ!」
カムイがすごい剣幕で怒鳴り、明かりがふいに届かなくなる。
一帯が真っ暗になった時、雷牙はそれに便乗してその場から背中を向けて走り去った。
離れる間、雷牙の頭には今聞いた会話が縦横無尽に駆け巡っていた。
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