真樹斗はひどく立腹していた。
「あのやろ〜、今度こそはただじゃおかねぇからな。あいつに冷水ぶっ掛けて1回ドームの外
に連れ出してやろうか……」
けっけっけ、と不気味に笑う真樹斗の周りには、誰にも人は寄り付かない。というか、寄り
付いたら死にそうな気がして誰も寄り付けなかった。
イデアにご飯を取られる事は日常茶番事なのだが、本当に今回だけは許せない。せっかくとっ
ておいたケーキを何も言わずに食べられてしまったのだ。それで非礼を詫びるのならまだ良かっ
たが、あろう事か笑いながら逃げたのだ。
怒り絶頂の真樹斗は、とりあえず片っ端から探していく。
「食べ物の恨みは恐ろしいんだからな。覚えておけよ……」
真樹斗自身、イデアとの足の速さは天と地ほどの差ぐらいある事は分かっている。だが、そ
れで真樹斗の怒りが止まるわけがない。
今なら追いつけるんじゃないか、自分でそう思うぐらい真樹斗は怒りの力が全身にみなぎっ
ていた。その中に、さっき雷牙に受けた侮辱は含まれていない。
「捕まえたらお前を料理してやるからな……」
女の子に向かって料理するとはいかがわしい意味があるのだが、怒り絶頂の真樹斗にはそん
なもの知る由もなかった。
くくくくく、とどうにも近寄りがたい暗い声を出している真樹斗は彼女を見つける事だけを
頭に入れていた。
「ん?」
真樹斗のその思考が途切れる。
何かがこちらに向かってきていた。
男が1人とてつもない速さで向かってくる。言うなれば、イデアより少し速いだろうか。後
ろから黒のワイシャツに氷を砕いたマークがついている。ウラス・ホーガの職員だっ
た。
事件だな、と真樹斗は流れ的に察した。
そして、その追われている男が真樹斗の隣を通過しようとした時、
真樹斗はその男の足を引っ掛けた。
「ぬうぉっ!?」
その男は大きくつんのめって体勢を崩し、風で飛ばされる紙のようになめらかに地面を転がっ
ていった。
それを見て、真樹斗は妙にすっきりした気分になった。
「んじゃ、さっさとあの泥棒猫探しに行くか」
今起きた事をすっぱりと忘れて、真樹斗は人の3時のおやつを食った生意気な小娘を探そう
と身を動かした。
「おい、まてや!」
それを転がった男が許すはずも無かった。
あん? と不機嫌に真樹斗が体を向けると、男は所々に今作った擦り傷を残しながら、息を
荒げて真樹斗を睨んでいた。片目に稲妻のような傷跡がある。
「人をひっかけておいて何もなしか?」
「うるせえな。そこで前だけ向いてるからいけないんだろ。下も見ろ下も。いろんな土があっ
て新しい発見もするぞ」
どうにかならないかなぁ、とか片隅に思いながら会話を続ける。
「大体なんで追いかけられてんの? 強盗? 殺人? そんなもんで人生外すなんてみっとも
ねえなあ、ほんとにさ」
騒ぎを聞きつけて観衆が集まってきた。ぶちぶち、との効果音が聞こえるぐらいに、男に青
筋が立ってきている。
「てめえは謝罪の言葉もなしか」
「罪を犯された人間に謝りもしないやつに、する必要は無いね」
「……、」
「ん? どうした? やりたくなったらかかって来い。ちょうどむしゃくしゃしてんだよ」
うるせえわぁ! と怒鳴り散らしながら、その男は懐から出したナイフ片手に真樹斗に突っ
込んでくる。
心の中がうざったくなっている真樹斗は、暇つぶしに相手する事にした。
雷牙は真樹斗が乱闘を始める瞬間にやってきた。
表に来てみてらなぜか人だかりが出来ていて、そこに人の合間を縫って入っていったら、そ
こに真樹斗が男といがみ合いを行っていたのだ。
相手の男の片目には稲妻のような傷跡があり、心当たりがあった雷牙は記憶の中から探し出
し、強盗殺人犯だと分かった。
「どうしたの? ……ってあれ兄ちゃんじゃん!」
背中に負ぶっているイデアも気づいて、自分の兄がその場にいる事に驚きを隠せない。
というか、どこか殺し合いが始まろうとしている雰囲気が辺り一体に流れている。まずい、
と雷牙は経験から感じた。
その途端、男がナイフを取り出して、真樹斗に襲い掛かった。観客の中から悲鳴がいくらか
耳についた。イデアも思わず目をそらしている。
その中で雷牙は、ただじっと真樹斗を見続けた。
真樹斗は男が突き出してくるナイフを右に避け、その持っていた手を平手で叩いて弾き飛ば
した。
カラン、と金属がアスファルトをこする音が耳に障る。男はすぐにそのナイフを拾おうとし
たが、真樹斗はそれを人ごみの中に蹴り飛ばす。
おおっ、と歓声が沸き起こった。
男は咄嗟に格闘に切り替え、真樹斗を拳で殴り飛ばそうとかかってくる。それに真樹斗は臆
せずに、腕を払って男の腹部に拳を入れた。
うぐっ、と男がくの字に曲がっている間に、真樹斗は男の横合いから蹴りを入れる。それは
軽めなところに当たったのにも関わらず、男は観衆がいる所にまで吹き飛んだ。
「おいおい情けねえなぁ、さっきの威勢はどうした?」
「う、うるさい!」
そう言って男はその場から逃げ出そうとした。男が強盗殺人犯だと知っている雷牙は、その
逃げ道を完全に塞ぐ。
「逃げさせないよ」
「どけ」
雷牙は鋭い目つきで睨み続ける。
「普通の人間がでしゃば……」
罵声を吐こうとした男だったが、雷牙の着ているコートで誰か分かったようで小さく舌打
ちした。
「ちっ、もう追っ手がきやがったか。まっ、こんな子供なら簡単だな」
雷牙はカチンときた。
「見くびってもらっちゃあ困るね!」
雷牙は男を蹴り飛ばした。そこまで力は入れてないが、ダメージが蓄積されていた男は軽く
飛んで、真樹斗の足元まで戻っていった。
背負っていたイデアを人に預け、雷牙もその場に駆け寄る。そして、真樹斗に小さい声で耳
打ちした。
「真樹斗、あいつは強盗殺人犯だ」
「なにっ。捕まえた方がいいのか?」
「いや、僕達は気絶させるだけで十分だね」
どうせ後々からメンバーがやってくる。それまでに時間を稼げればそれでいいのだ。
男が狂ったように吼えながら、構えもこうもない感じで突っ込んでいた。
「うらああああ!」
「ちょっと荒技行きますか」
「お前がやるとは珍しいな」
そりゃどうも、と雷牙は皮肉を込めて言い、男が突進してくるその腹に潜り込めるようにか
がんだ。
地面に手を付いて、押し出した反動を使って雷牙は男の腹を蹴り上げる。
うっ、と男が呻いてわずかに宙に浮く。そのわずかな間に雷牙は手首をひねって体勢を変え、
踵を男の胴体に叩き落した。その舞のような攻撃に驚嘆の声が出る。
男は地面にぶつけられた衝撃で四肢が海老のように跳ねたが、それからはピクリとも動かな
かった。どうも後頭部を打ち付けたようだ。
「大丈夫、かな?」
「気にかける必要はないさ。呼吸はしている」
雷牙はそれを聞いて、心からほっとした。死んだかと思ったからだ。
真樹斗が不審そうに見つめる。
「ほんと、お前情けかけすぎだ」
「うるさいな。別にいいじゃん。死なない方がいいんだから……」
雷牙は言葉が詰まった。
死なない方がいい。
何気なく言ったが、どうも気にかかった。
それだったら、彼女だって死なない方がいい。死んだ方がいいなんて選択肢、無いはずだ。
と、ようやく機関のメンバーがその場に、山を全力で横断したかのように息を荒げながらた
どり着いた。
イデアを見つけ、彼女を背負いながらその様子を見る。やはりなにかしらの抵抗があったが、
最後には素直に応じてくれた。
「……強盗殺人の罪で……逮捕」
寝転がって気を失っている男に、メンバーが切れ切れの声で手錠をかける。カシャ、とはめ
込むような音とともに手錠がしまった。
「ご協力感謝いたします……あ、雷牙さん」
その場にいた人間に手を頭につけて敬礼をしようとした時、メンバーの1人が雷牙に気づい
た。
「……どうしたんですか? あなたは休むようにと言われていたと思いますが」
「いや、これは事件に巻き込まれたというほうが明確だね」
はぁ、とそのメンバーから溜息が漏れる。
「……もう、あなた事件に巻き込まれすぎ」
「ほっといて。ていうか、君たち追いつけなかったの?」
うぐっ、とメンバーの1人が締め出されたような声を出す。後ろにいる2人も、なんだか浮
かない顔をしていた。
「まあいいじゃん。捕まったんだからさ」
対して、もう1人のメンバーは楽観的に見ていた。それはどうかと思う、と雷牙は忠告する。
そんなに甘い事はそうそうないからだ。
「追いつけないというのは深刻だぞ? いつでも逃げられるんだから」
「真樹斗さんもいたの……。まあ、今回だけですよ」
「今回のように足が速い奴が相手じゃ無理だって事か?」
メンバーが声を詰まらせる。言い返せないか、と目を泳がせているのが分かった。
「……というか、あなたも力があるでしょ? なにやってるのよ」
「いや、その服を着てないと力を使ってはいけない決まりだろ」
それはそうだけど……、とメンバーは行き詰ったように声をくぐもらせる。
コートについているマークが機関の人間である事を証明しており、それがないと力を使う事は
許されていない。雷牙はそのコートを着ていたが、あの場にはまるで役にはたたない。
真樹斗は雷牙と同じくアレクトロに所属している。もちろん力も備わっているわけで、それ
は雷電防御(エレクトロシールド)と呼ばれている。その力を使えば一瞬でさっきの男も一撃どこ
ろか瞬殺だっただろうが、その規約上使う事は出来ない。
だが、あの時の真樹斗はそれを破ろうとしていた気が、なんとなく雷牙には伝わっていた。
野蛮な人は本当に危険だ。
ちなみに、あなたと言ったのでそこに雷牙は含まれておらず、ちょっとした軽蔑になってい
る事を雷牙は知らない。
「ともかく、この人間を運ばなきゃならないから、それじゃあね」
2人のメンバーはそう言い残すと、糸が切れた操り人形のように腕を下げている男を引きず
りながらその場を離れた。
「……さて、この後どうする?」
真樹斗が聞いてくる。「4日ぶりに帰ってきた事だし、たまには家に来るか? 多分そこの
居眠り少女も喜ぶぜ」
真樹斗はイデアを指しながら言う。イデアはいつの間にか、長くつまらない話に飽きたのか
寝てしまっていた。その寝顔を見ると思わず笑顔になる。
「いや、ちょっと寄りたい所があるんだ。まだあそこなら開いているだろうし、落ち着きやす
いんだよ」
「ふ〜ん。まあお前がそうしたいならいいや。また今度来いよ」
「うん。悪いね。断っちゃって」
気にすんな、と真樹斗が返す。真樹斗がイデアを渡して、と手で示してきたので眠っている
イデアを預ける。真樹斗はそれを落とさないようにしっかりと背負った。
それを見ると、唐突に笑みがこぼれた。
「なんだよ。気味悪いな」
「あ、いや。やっぱ何だかんだ言っても兄妹だなって」
「……」
真樹斗の目が線と思えるぐらい細い目になった。
「……憧れてんのか?」
「何でそうなる!」
「いや、なんでもない。お前がそんな事言うなんて以外だなって。何か、妹にしたい子でも出
来たか?」
「いやだから何でそうなる! はっきり言って犯罪じゃん!」
「あっはっは、まあいいじゃないか少年。男というのはそんな夢を持つものだぞ」
雷牙はあえて無視した。
「それともあれか? お前、永遠と呼べる長き日を共にしたい人でも出来たのか?」
「……、それ、誰の言葉?」
「ん? ああ、本のタイトル。本当に心から愛している人は、そのぐらい共にしてもいいとい
う覚悟があるんだと。その恋愛小説をこの前イデアが呼んでたから」
永遠と呼べる長き日を。
「僕はいない……はず」
どこか、妙なしこりが雷牙の心にあった。
真樹斗は一瞬目を細めたが、振り切るように背を向ける。
雷牙には、その目が哀れみのように感じた。
「どうしたのさ?」
「……いや、何でもない。んじゃ、また」
「うん、じゃあね」
雷牙は真樹斗が見えなくなるまで後姿を見送った後、雷牙はウラス・ホーガの道へと引き返
していった。
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