「最悪でしたよ」
雷牙はぐったりと肩をすくめる。「あの山の中からトウキョウまでこんなかかるとは思いま
せんでしたよ。なんです? あの木の迷路は」
雷牙が本気で訴えても、その男は笑みを崩さない。それどころか、ますますその笑顔が濃く
なった。
「あそこは昔は樹海とも呼ばれてたからな。それなりにあるんだよ。人を出させないようにす
る工夫がな」
「木に葉がついていないのですから、迷う事はないはずなんですけどね」
「それは、君が悪いのだ」
的確に突かれ、沈黙する雷牙。
さわさわ、と。窓からの隙間風で男の白い髪が揺れる。
「……、悪いは悪いですけど、カムイさんならもうちょっとどうにかなったでしょう?」
不機嫌な気持ちを込めて、雷牙は不満を伝える。それでも男は口を曲げてあはは、とあいま
いに笑みを浮かべていた。
目の前の男はカムイ。苗字はないらしく、それで通すように言われている。
雷牙のこの機関での上司であって、いつしか前に幻覚で生み出された電話でかけてきたのも
この男だ。彼は、この機関でも特別クラスの地位にいるらしいが、雷牙からは『カムイさん』
としか呼ばせてくれない。
だが、上司というのはただの肩書きだ。実際カムイは雷牙とは全く別の部類に入る役職のた
め、雷牙の上にカムイが付く事はありえないのだ。
それなのに、今までの上司を飛ばして入ったのは、何か理由があるのだろうか。
特徴といえば、たなびいている白い髪と、淡く輝くような青い目が言えるだろう。その神秘
的な姿は、何考えているのかを全く想像させない。
そういえば彼女と同じだなぁ、と雷牙はあの少女の姿を思い浮かべる。
「大体、君もボードを落としたのも悪いだろ」
雷牙の思想を断ち切るように、カムイが話を持ってくる。
「まあ、そうなんですけどね」
「君があんな山奥に移動手段を湖に落とすなんて事しなければ何も起きやしなかったのだ。で、
君は一体なぜボードをなくしたんだ?」
うぐっ、と雷牙はのどを絞めるかのように黙り込んだ。
出来れば雷牙はボードを落とした経緯については話したくなかった。凍えるような山の中で
道をさまよい、狼の群れに入って追いかけれられ、あろう事かそれでやられて崖から落ちたな
んて話せるはずがない。
プライドが傷つく、というのもあったが実際はそうではない。
「あれさ、かなり高額なんだが」
カムイが机の上に広げてあった書類をざらっと読む。その中身で、彼の顔がどんどん苦渋を
飲んだような表情になる。
「ボードだけなら、ねぇ」パタン、と書類を置いて、「機械類全て水の泡にしちゃったんだろ。
流石にこれは難しい。ただでいこうなんて」
うぐぐっ、と雷牙は首を絞められすぎたように口をゆがめる。
あんな素人のような理由など言ったら必ず請求を全て払わされるだろう。もちろん雷牙は素
人ではないので、そのルートは確定だ。
だが、黙りとおす事も無意味なようだ。カムイの言動だと、完全に雷牙の支払いになってし
まうだろう。この無限に見える0の数の請求を。
「どうにかなりませんか?」
既に雷牙は、駄々をこねるような感じで訴えるしかなかった。
「う〜ん」
うなる。カムイは苦しい選択を迫られているかのように唸る。
「君は普段乱暴に扱う人間じゃないし……」
唸り続ける事数分間。
「だけど金額高いし……」
雷牙が待ち続ける事数十分間。
「だけどそれなりにがんばっているし……」
動きが止まってから1時間。
「だけど……」
「いい加減考えるのを止めてください! 待っている方が辛いんですから!」
ついに耐え切れなくなり、雷牙は大声で叫んだ。
カムイがそれに、野獣をみたかのようにひるむ。その背景には、窓から夕日の光が差し込んでいた。
「なぜそこまで深く考え込むんですか!」
「いや、しかし……」
「いや、じゃありません! 無理なら無理で仕方ないのですから認めますよ!」
本当は全く根っからも認めたくは無いのだが、これ以上考え込まれるとこちらが困る。雷牙
は明日から困難だなぁ、とただになるのを諦めた。
と、そこにコンコンと音が入る。
「失礼します」
そこから入ってきたのはこの機関の職員だった。黒に身をうずめたような一式で、胸には雷
牙のコートにもついている、つららを真上から割ったように亀裂が入ったマークがある。ウラ
ス・ホーガのマークだというが、どうにもセンスがないと思う。
職員は、真っ直ぐにカムイに進んでいく。
「カムイ情報局長。上からの連絡です」
カムイを局長という限り、この職員は情報局の人間のようだ。
「なんだ?」
カムイの目が、うってかわって厳しくなる。
「トウキョウ第三地区で、強盗殺人の事件がありました」
「内容を詳しく説明してくれ」
「犯人は単体。30代の長身の男のようです。特徴は片目の傷跡で、凶器は刃物で殺害された
のは女ですね。胸を心臓めがけて刺され即死。男はその場にあった現金を持っていって逃げま
した」
「正確な位置は分かるか?」
「ええ。現在ドームカメラにて追跡中です」
雷牙は目の前で話されている事件を、口を挟まずに聞いている。
事件というのはさほど珍しいものではない。殺人も3日に1度くらいは起きるもので、強盗
に至っては日常茶番事だ。
それを取り締まるのが本来のこの機関の目的であって、その罪も裁くのもこの機関にあたる。
何かとめんどくさいのがこの部署だ。
「ドームカメラは現在どこを捉えている?」
「えっと……、ここです。第四地区北東です」
職員が懐から出した映像機の画面に、トウキョウ全体のマップが映し出され、その北北東付
近の所が紅く光っていた。
「現在向かっている人間は?」
「4名です」
「そんなにか」
「ええ、相手の足が速いものですから。出来ればあと1人……」
と、職員が目を泳がせて、雷牙を発見したようだ。
「雷牙さんはどうでしょう? 能力は適しませんが足があります」
いきなり話を振られた事に戸惑ったが、雷牙は出ると言われたなら出る気もあった。
しかし、カムイはそれを断った。
「彼はまだ着いてばかりだ。早々に苦労はさせられない」
「……そうですか。では、他を当たってみます」
そうそう、と職員は出る直前に付け足した。
「弁償の件は気にしなくていいと言われました」
それでは、と職員はいそいそと部屋から出て行った。パタン、と扉の音が小さく届く。
「……だそうだ。良かったな」
「……ですね」
雷牙は言葉を繋ぐ。「それで、僕はこの後どうすればいいんですか」
カムイは少し考えた後、今日はゆっくりしろ、と告げられた。
「どうせ君はまだ疲労が残っているだろ。むやみに動いて怪我されたらどうしようもないから
な。とりあえず今は家に帰っていた方がいい」
「明日にはまた任務ですか?」
「そうだ。早急に動いてもらいたい」
「どこへですか?」
雷牙が問うと、カムイはそりゃ、と逆に驚いたように口にした。
「エルアール・グレイセスを殺す任務だ」
ずっしりと、重いものが心を潰してきた。
本当は分かってはいた。自分はただ戻ってきただけで、準備が整ったらすぐに……、ルアを
死なせるための任務に就く事ぐらいは。
それでも思わず聞いてしまった。どこか、否定してほしい言葉を待っていたのだろうか。
彼女を殺さないとでも、言ってほしかったのだろうか。
「……分かりました」
気持ちが声にまで表れ、失望したような承諾になってしまった。
それを、カムイは気にかける。
「どうした? 体調が優れないのか?」
「いえ、なんでもありません。……そういえば」
雷牙は何か聞く事があったのを、記憶の片隅から引っ張り出した。
「あの、以前に聞きましたよね。なぜ彼女を殺すかについて」
カムイの眉が、かすかにつりあがる。
「なぜです? 理由がなければ行動する気もならないのですが」
雷牙は真剣に問う。
理由。あらゆる事の証明になるような事柄。ただ無意味にルアを殺すなんて、そこらへんの
殺人と全く同じだ。
他にも理由がある。法律を使って人を守るような仕事をする機関が、人を殺せなんて法律に
反した任務を渡すのかが分からない。雷牙はそれ以前は人を守るような任務を受け続けてきた
ため、それを承った時には、少なからず疑問を抱いた。
カムイは、あの時と同じく、口に紐を結んだように黙り込む。
だが、その表情はどこか陰鬱だった。
「なぜ、ルア……エルアールを殺さなければ?」
その紐をほどくように、雷牙は訴える。
「……、」
それでも、カムイは何も喋らない。
「……話はここまでだ。武器の調達が出来ているから後でとりに行け。じゃあ」
やっとそう声に出したかと思うと、カムイは後ろを向く。まるで、現実から目をそらすかの
ように。
雷牙は納得が出来ない。
「なぜです? なぜカムイさんは話してもらえないのでしょうか!?」
少し強めに、カムイに必ず聞こえるように雷牙は言う。
「そこまで話せない理由がどこに……」
「黙れ」
背を向けた状態のカムイの一言で、雷牙は全身が強ばった。明らかに今までとは違う、低く、
獣が威嚇するようにうなる声だった。
「人の心情も知らんやつが勝手にほざくな」
いばらのようにとがった声。
雷牙はそれでも何か言おうとして、やめた。
そして、窓を向いているカムイに背を向け、扉へと向かってこの部屋から出た。
忍び出るように、彼が作り出した凍てつく空気に逆らえずに。
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