雷牙には特殊な力がある。
雷牙の所属する機関では、入ると必ず投薬で力を植えつけられる。それは、大体が炎を自由
に扱うとか千里眼とか、個人差はあるが必ず機関に役立つような力になる。今の時代、投薬1
つで力が簡単に作れるのだ。
雷牙の力は元素破壊で、その効果は酸素、水素、炭素、といった物の基礎となるもの――元
素を消滅させる事が出来るものだ。
しかし、これは機関によって生み出されたものではない。気がついた時にはもうその力がつ
いていたのだ。
「発動から消滅まで1秒以下。前より早くなった」
雷牙の顔が、嬉しさに綻ぶ。
別に自分に異能があった事に雷牙は不思議とは思わなかった。逆に、この力を誰かのために
役立てようとも思った。
だが、実際は思った通りには行かない。
「昨日のだって、全く役に立たないしなぁ」
雷牙が消す事ができるのはいわば自然現象のようなものだけで、狼といった生き物や物体に
は何の意味もないのだ。
「だから武術を磨いたんだけど、やっぱりこの力を使う時が欲しいね」
大きい独り言をついて、雷牙は深い溜息を吐く。
その時、サクッ、と分厚い雪を踏む足音が聞こえた。振り向くと、そこに立っていたのはル
アだった。
ルアはとっくに着替え終わっており、黄色の長袖のロングスカートを着て、首からは長めの
翡翠のスカーフを巻いていた。でもそれだけじゃ寒いらしく、体を小刻みに震わしている。
「ライガさん……」
遠くの方から、か細い声が聞こえる。
雷牙はさっきの一件もあってか、どうにも近づく事ができない。
「くしゅん!」
ルアが遠くにいる雷牙に聞こえるほど大きなくしゃみをする。何かと気にかかるがさっきの
件でひいてると思うので、安易に近寄れない。
「……くしゅん!」
……といっても、寒さ故にくしゃみを連発する彼女も放っておく事もできない。結局雷牙は
ルアの元に歩み寄って、自分が着ていたコートをかけてやった。風が冷えて寒いが、彼女が寒
がるよりはましだと思った。
「……ありがとうございます」
「ここはあそこみたいに暖かくはない。だから、そんな格好じゃ僕と同じ目に遭うよ」
それだけで、会話の流れが途切れる。
沈黙が、2人の周りを支配する。
「……ごめん、さっきは」
重圧に胸が張り裂けそうになりながら、雷牙は彼女に頭を下げた。
「もっと自分がしっかりしていればよかったんだね」
「もういいですよ。もとはといえば私の不甲斐なさですから」
「だったら変態のレッテルはがして」
「無理です」
そう言って彼女は陽だまりの笑みを作る。雷牙は心が温かくなるのを感じるのと同時に、や
はり締め付けられる思いもあった。
「情けないね、僕って」
「何がですか?」
疑問の目を純粋に向けてくるルアに、雷牙は思わず目を背けた。
目の前の彼女を殺せない自分が。
自分の課せられた事を出来ずに、優柔不断にする事が。
ルアの表情を見ていると、それだけで本当に情けなくなってくる。
いろいろな失念が、雷牙の心で入り混じっている。
「あなたは素晴らしいと思いますが」
そんなふうに言うルアを、雷牙は首を回して目で捉える。
「……じゃあ、どこが?」
「…………いろいろな部分で」
「それ、何にもないって意味だよね」
「……」
ルアは口を開けたまま止まっている。
「ずっと君に迷惑かけてきたのに?」
「……」
「自分の事さえ背負いきれてないのに?」
「……そこまで自分を責める必要はないと思います」
少女は黙る。彼女はしばらくして自分の胸に、ゆっくりと何かを取り出すように手を当てた。
「それは私が勝手にやった事です。それよりも、あなたは私にいろいろな希望を与えてくれま
した。自分は1人ではないという、そんな希望を」
ルアは笑みを作る。「あなたの素晴らしいところ、見つけられました」
その純真無垢の瞳に、雷牙は心が晴れた気がした。
全ての雲が、太陽が出ると共に散りいくように。
雷牙は背後に残る湖を見る。全ての地表上にある水が凍っている今、この湖だけは凍ってい
ないのがなんとも不思議で、神秘的だった。
「そういえば、この湖って何で凍らないんだろう?」
雷牙は彼女に聞いてみた。
全ての地表上にある氷とは、海も例外ではない。どこの水も全体が凍っているのに対し、こ
こは氷の膜さえ見当たらない。気温が高いのかと考えるがそうではない。ならばなぜ、ここに
氷は出来ないのだろうか。
彼女はわからない、と言わんばかりに首をかしげた。
「私がこの水を使っている時も凍った姿を見た事がありませんからね。確かにここは寒いです
から不思議ですけど、凍ってくれない方が私は嬉しいです」
「そういえば、ここの水を使ったのって、いつから?」
「そうですね……大体10年前ですね」
「となると……6歳から?」
はい、と頷く少女。その今までの苦労が微塵も感じてこないのが、雷牙にはすごいと思った。
雲の間から差し込んでくる光を、湖が反射して煌いていた。
「さて……もう行きますか」
雷牙が別れを告げようとすると、ルアは非常に失望した顔を覗かせる。
「もう……行っちゃうのですか?」
「うん。流石に予定が狂いすぎたからね」
早く帰らないと機関の人間がうるさく言う。それに、ここから本部がある首都までは4日か
かると聞かされた。なら、朝早くから出ないといけない。
それを言おうとしたら、ルアの目に雫が溜まっている事に気づいた。
「まだ、まだ……」
言い終えないうちに、ルアは雷牙の胸に飛び込んだ。
「まだ行かないでくださいよぉ! 私、まだあなたの事何も知らないのですから! それに怖
いんです、また1人になるかと思うと本当に!」
ルアが目から垂らす涙が、雷牙の衣類に染み渡る。
雷牙はどうしていいのか分からず、ただその場でうろうろしていた。
雷牙はどう言葉を返せばいいのか分からなかった。彼女の今までの苦しみは、1日過ごした
だけでもよく伝わった。最初は忌み嫌っていた自分の、その気持ちがかすかに薄れていったほ
どにまで。
しかし、今日帰らなければまずい。彼女がどう思おうと、本部に早急に戻っていろいろ準備
をしなければならない。その準備は、彼女を殺すための準備。
どんな事があろうと、結局は、この儚い少女は亡き者になる。
だから、この少女を突き飛ばすくらいに引き剥がして、彼女の感情に左右されずに振り切っ
て戻ればいい。ただ、それだけ。
彼女に心を残しても、何もならない。
そうとは、雷牙は分かってきた。
なのに、
分かっている、はずなのに。
この雪のように溶けそうな少女を、離す事など出来なかった。
突き飛ばすなんて、出来なかった。
それはなぜだか分からない。ただ、この別れを惜しむルアを残しておくのが辛くて、その小
さな体を離す事が辛くて。
辛くて……何も出来なかった。
「……落ち着いた?」
冷静だけが今する事と考え、雷牙は投げかけるようにルアに聞く。彼女はかすかな時間隙間
を作り、はい、と1回小さく頷いた。
雷牙は、その肩を持つ。
「こればっかりはどうしようも出来ない。帰らなければならないのだから、いつまでもいられ
ないから」
一言一言を言い聞かせるように、雷牙は言う。
ルアは、それを深く飲み込むように聞いている。
「だから……また来るよ」
その言葉を言うと、雷牙はルアの瞳が輝きだした気がした。
「君を絶対に忘れない。ここに、必ず戻ってくる」
「本当に……ですか?」
疑り深い蒼の瞳に、雷牙は薄く微笑む。
「うん。約束する」
それを聞いたルアは、心から嬉しそうな笑顔を出す。
ルアの周りには、嬉しさの光で満ち溢れているようだった。
それを感じて、雷牙はほっと一息つく。
「さて、お願いがあるんだけどさ。食料分けてもらえないかな?」
こんなの事を聞くのはしゃくだと思いつつも、「流石に、ここから僕の行く所は歩いて4日
かかるそうだし、食べ物全てなくしちゃったんだよね」
雷牙は、行きは1日で着くと思い、そんなに多くは持ってこなかった。その少ない食料も、
湖に落ちた事で全て流されている。4日も空腹状態は尋常ではないだろう。
と、急にルアが吹きだす。
「あはは、あなたってどれだけ不幸なんですか?」
「ぐっ……まあ、それはどうでもいいよ」
雷牙は自分が昨日からどれだけ不幸な目に遭っているか、数えたくもなかった。適当に言
うと、5回程度だろう。
「で、やっぱだめかな?」
「そんな、いいですよ。どれだけでもどうぞ」
「まあ、そんなにはもらえないけどね」
「ふふ。では1回戻りましょうか。いろいろと仕度が必要でしょう。それに、早くこのコート
返したいですからね」
「ん? 僕のコートどこか臭かった?」
雷牙がそう聞くと、ルアは手振りで否定した。
「いえいえ、あなたがどうも寒そうでしたから」
会話をしているうちに、森の部分に入ったようだ。急に白から緑に変わり、ぽかぽかとした
陽気が流れてくる。
「では、ここで待っていてください」
彼女の家について、ルアはそれを告げると家の中へと消えていった。雷牙は一瞬後をつけよ
うかと思ったが、何かあるといけないので止めておいた。
そして、待つ事5分。
「お待たせしました」
ルアがバッグを持って家から出てきた。
「それは……」
「ライガさんのバッグです。その中に多めの、すぐ食べられるものを入れておきました。おそ
らくは、中には何も入れませんでしょう?」
「うん、まあ……」
あいまいに雷牙は頷く。バッグに臭いがつかないか心配だった。
「それでは……」
一気にルアが寂しそうな表情になる。
「お別れですね」
「そうだね」
しんみりとした、重い空気が流れ込む。
「あのさ、今度会う時はさ……」
「なんですか?」
ずっと思っていた事、時々は外して欲しかった事を今から言う。
「敬語、もういらないよ」
ルアは一瞬、分からないといった表情を見せたが、はい、と深く頷いて、
「今度からは気をつけますね」
そう言った。
「では、また会える時に」
「うん、じゃあね」
そう互いに交わして、雷牙はその場から離れる。ルアが惜しげもなく手を振ってくれるのを、
雷牙は複雑な心境で受けとった。
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