「なぜ……ここにいると?」
 問いただすように、雷牙は尋ねる。
 雷牙は戸惑いよりも疑問が上だった。ここいるかどうかなど、消息が絶たれた時点で分から
なくなるはずだ。
「それは、君がそこに任務としてきているんだから当たり前だ」
「そうですか。なら、この電話は?」 
 雷牙は手持ちの受話器をぷらぷらさせる。
「この小屋には何も機械類は聞かされていたのですが、これがあるという事は矛盾します。も
しかしたら、あなたたちのものではないかと」
「ご名答」 
 電話の主は妙に笑っていた。「それはこちらで用意した。なにせ、君に連絡とろうとしてト
ランシーバーに応答かけたらなくなっているのだから。一応、君が持っているものは幻覚だ。
実際にはそこにはない」
「……なるほど。幻実射影機ですか」
 幻実射影機とは、その名の通り幻を実際にあるように見せる機械だ。もちろんそれはみるだ
けでなく、触ったり動かしたり出来る。主に、何かをなくした時にそうやって出して使うため
に用いられる。
「しかし、それだと時間制限が?」
 これのデメリットは、時間制限がある事だ。
「別に気にする事はない。もつのは10分程度だからそこまで長く話す事はない。用は、それ
までに定期報告をすればいいだけだ」
 定期報告、との言葉に雷牙は背筋がぞくりとする感覚をおぼえた。
「……やっぱりしなければならないのですか」
「当たり前だ。とりあえず、目標は生きているんだな」
 電話の主の言葉に、雷牙は背後を見て、思い込むように1回頷いた。
「……ええ。今はすやすやと寝ていますよ」
 出来れば、定期報告はしたくないのが雷牙の本音だった。
 それはめんどくさいのではなく、怖かったからだ。いろんなものをだめにして、さらには達
成出来なかった事で、罰を受ける気がしてならなかった。
 トランシーバーも無くした事で免れるかと思ったが、それは夢として崩れ去った。
 仕方ないので、正直に言わないといけない。
「……やろうとは思ったのですが、思わぬ事故に遭って武器類や機械類をなくしたり、壊した
りしてしまいました。トランシーバーが通じなかったのも、それに当てはまります」
「なら、その他の武器でやればよかったじゃないか」
「それが、その辺りにはいいものが見つかりませんでしたので」
 そう言いながら、雷牙の表情は暗くなる。
 実際はあった。いろんなものを応用すれば彼女を殺せる手段はいくらでも出来上がる。それ
でも殺せなかった自分の甘さを、雷牙は隠したかった。
 ひとしきり、電話の主は黙った後、
「そうか」
 と、簡潔に言った。
 その反応があまりにも以外で、雷牙は耳を疑った。
「僕を責めないのですか?」
「責めたってもう返っては来ない。自分で捨てたのなら怒りが湧き起こるかもしれないが、そ
れは事故だろ? なら別にいい。今度からどうにかすればいいさ」
 その言葉に、雷牙はほっと胸をなでおろす。
 そして、本当にこの人でよかったと感じた。
 もし、雷牙の上司がこんな人でなかったら、今頃雷牙は本部を追放されたうえ賠償金を全額
払わされていた。身を滅ぼすぐらいの。
「しかし……それだとボードも無くしたみたいだな」
「……ええはい、その通りです」
「どうするんだ? 首都まで4日はかかるぞ」
「えぇ……、どうにかならないんですか?」
「流石にそれまで幻実射影機ではどうにもならない。歩け」
 歩く事は避けられないと突きつけられ、絶望を感じた雷牙は大きく溜息をつく。それも聞こ
えたか、電話越しの声が語りかける。
「まあ、徒歩もトレーニングだ。しっかりやれよ」
 ちっともフォローになっていない。
 雷牙は電話から聞こえないように、怒りを込めて舌打ちした。
「まあ、これぐらいでいいな。じゃ、切るぞ」
 電話を切ろうとした上司に、雷牙はまだ聞きたい事があったから引き止めた。
「なんだ? 後5分ほどしかないが」
「5分もあれば十分です。それよりも、教えてください」
 何が、と答える上司に、雷牙は乱さないよう冷静に聞く。
「彼女を……エルアールをなぜ消さなければならないのですか?」
 電話越しの声は聞こえない。それで雷牙はかすかな苛立ちを覚えた。
 雷牙は、ルアを殺す理由を教えてもらってない。それまでの任務はちゃんと細かい所まで教
えられたのに、今回の任務だけは何も知らせてくれなかった。
 ただ単に、場所と名前、それと目的を教えてもらっただけだった。
「はっきり言って、それだけじゃ疑問に思ってしまいますよ」
 詳しい説明がなかった事に雷牙は不思議に思えた。それを聞こうと任務を受けた日に思った
のだが、肝心の日に遅刻して、その機会を逃してしまったのだ。だから、この期をもって聞い
てみた。  電話越しの声は、まだ沈黙を保っている。
「すみませんが、本当に答えてもらえませんか」
 雷牙の憤りはますます強まり、ついには声まで低く唸ったような声になってしまった。
 それでも黙る。黙ったまま、上司は堅く口を閉ざしていた。
「お願いします」
「……なぜ」
 電話越しの上司が、ようやく口を開いた。 「……君はなぜそこまで気にするんだ?」
「真実を知りたいからです」
 雷牙はきっぱりと言った。本当はどこか違う気もするが、あながち間違っているわけでもな
い。  そうしてまた声が聞こえなくなる。しかしそれは、さっきまでの間隔より長くならなかった。
「君は、『パンドラの箱』って知っているか?」
「パンドラの箱?」
 雷牙は記憶をめぐって思い出す。パンドラの箱は、よくある神話だ。
 内容は深くは知らないが、この神話を元に絶対開けてはいけないものという意味に繋がって
いたはずだ。
「ええ一応は。それがどうかしましたか?」
「パンドラの箱は好奇心から開けられたものだ。それが後の厄災となって振りまかれた。だか
ら、中を見てはいけなかったのだ」
「そんなもの開けた本人に言ってくださいよ」
「そういう意味じゃない。君はこの事から何か感じないか?」
「はい、それが……」
 なにか、と言いかけて、その言葉の意図に気づいて雷牙は口を止める。
 遠まわしにしていて、直接はこう言っていたのだ。
 好奇心から滅ぶ事もある。
「そうですね」
 雷牙はやや噛みしめて言った。「簡単に興味があるからといって事件に首を突っ込んで、そ
のまま巻き込まれて死亡という話も多々見られます。その神話も、結局は最悪の事態になりま
した。しかし、そうしたら何も出来ないと思いません?」
 雷牙は繋げて、水が流れていくように言葉を発していく。
「好奇心が身を潰すと言っているんでしょう。しかし、好奇心がなければ結局は何も事件が起
きません。何も事件が起きなければ、自分は何も変わりません」
 電話越しの声は、全く聞こえない。
 自分を変えたい。そんな事は、誰にも思うはずだ。
 はっきり言えば、今雷牙がこの機関に所属しているのも同じような理由だ。自ら事件に関わ
る事で、己を精神的に成長したいからだ。
「だから、好奇心も悪くはないと思うのですが、それでもですか?」
 ひとしきりの沈黙の後、一言返された。
「君の意見は確かに正しい。ただ、それでも出来ないんだ」
 何で……、と聞く時間はもう無かった。
 雷牙の目の前にある電話が、徐々に透かしていったのだ。
「時間だな」
 上司がどこか、ほっとしたように言う。「パンドラは開けてはいけない。そこにどんな事情
があったとしても、世界を巻き込んではいけないんだ」
 伝えない事が真実だと言うように。
 そこで電話が切れ、同時にそれ自体も消えた。
「世界を巻き込む……?」
 雷牙は、上司の残した最後の言葉に興味をもった。
 ただ、興味をもっただけで、それを深く考える事はなかった。
「あっ、月……」
 ふいに窓を見上げた時、視界に月が写った。それはとても形の整った、優しさを感じる満月
だった。
 月はこの辺りの、唯一の光源のように照らしていた。
「ここに来て、ほんと変わったものを見たな」
 その月を視界から外さずに、雷牙はしみじみと感じた。
 この極寒でなにも守られていない土地に緑が生い茂っている事、そこで出会った少女から昔
の生活のようなものを知る事、そして、今の満月。
 明日には、この風景ともおさらばだ。
「なんか、悲しい気もするなぁ」
 雷牙は内側からこみ上げてくる感情に抗わず、意のままに笑った。
 なぜ笑っているのか、雷牙自身もよく分からない。
 ただ、笑えてきた。
「……さて、寝るか」
 雷牙はここを出る気が失せていた。
 おそらく、ルアの騒動も収まっていると思う。一体どうやったらベットとの間を飛び越えて
入ってくるのか分からないが、とりあえず今は熟睡しているだろう。
「ほんと、なんでああなるんだろう?」 
 雷牙は、実際に彼女といつまでも付き添ってきたわけなはずがないので、そんな事分かるは
ずもない。遺伝か、と見当をつける。
 おそらく、もう一度あの場面にあったら、今度こそはとんでもないことをしてしまうだろう。
「ほんと、そうならないようにと祈るよ……」
 伝わるはずも無いが、そんな事も気にしないぐらいに雷牙は心から願っている。
 その時ふいになんとなく、なんとなくだがルアが雷牙の使っているベットにいるような気が
した。 「なんだかいやな予感がするなあ」
 言葉は嫌がっているようでも、雷牙の表情は意外と楽しそうだった。
 まるで、幼い妹を見守っている兄のような。雷牙は今の気分をそう例えた。
 そうすると一瞬でそんな絵が思い浮かんで、大変そうだなぁ、と雷牙はまたも噴出し笑いを
した。

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