「……さて、帰るか」
 男は、その場から何事もなかったかのように立ち去ろうとする。
「待て」
 雷牙は涙を拭い、限りなく低い声でその男を止めた。男は見えない顔を振り向かせる。
「……何だ?」
「何でルアを殺した?」
「ルア? ああ、その少女か。任務だからだ」
「人を殺すのに躊躇いはなかったのか?」
「躊躇い? そんなのは毛頭ない。あの少女は危険分子だったからな」
 危険分子。その言葉がもうルアを人として扱ってないように聞こえ、雷牙はそこで込みあが
る感情をさらけ出した。
 男の首元を引っつかみ、顔だけしか向いていなかった体を強引にむかせ、男の背後にあった
壁に叩きつける。
 鈍い音が炸裂した。
「ふざけるな! あの子は人間なんだぞ!」
 雷牙は吼えた。
 体が訴えている症状を消し去るぐらい、雷牙は頭に血が上っていた。
「もっと正確に言え。人間だったと」
 それでも、立場的に不利なはずの男は冷徹に返す。
「だからなんだ。お前は彼女の肩を持つのか? 世界を破滅へと向かわすあの少女を」
「……それは、」
「答えられない、か」
 表情は見えないが、男は冷笑していた。
 雷牙の全てを否定するように。
「全ては過ぎた話だ。どれだけ悔やもうと、もう戻れない」
 男の冷酷な言葉に、雷牙は言葉が詰まる。
 雷牙は戻れないから悔いの残らないように動いてきた。その、はずだった。
 だが、その彼女はもういない。
 彼女は戻って、こない。
 彼女の、生命を感じられない華奢な体が雷牙の片手で抱きかかえられている。
「だけど、だけど……」
 雷牙は何度も復唱し、否定の言葉を捜そうとする。男のふざけた言葉を打ち砕くために、
必死に頭を回す。
 しかし、見つかる事はなかった。
 彼女の死という、大きな悔やみは消える事はない。
「夢は、結局は夢だ」
 男が、静かに言う。
「あの少女を助けたいと思ったのも夢」
「夢……だと……?」
「ああそうだ」
 男は、雷牙の憤りを物ともせずに言い放つ。
「夢を追い求めていけば、必ず壁にぶち当たる。たとえ、どんな夢でもだ。だから、その壁
を乗り越えられるかで全てが決まる。お前は乗り越えられなかった、それだけだ」
「それは、お前が……」
「そうだな。今回は俺が壁だった。打ち破れなかった壁だ」
「……」
「夢は、叶わないから夢なんだよ」
 男はどこかじれったくなったように言う。
「もういいだろ。さっさとこの手を……」
 その時、男の声が止まった。
 目はどこに向いているか分からない。ただ、その視線の先に写るものが、ありえないとで
も言うように硬直していた。
「……?」
 雷牙は男の向いているだろうその視線を辿る。
 その先には、何も抱えられていない雷牙の腕が存在していた。
 ルアがそこにいなかった。
「何で……?」 
 雷牙は戸惑う。もう彼女は亡骸となっているはずだ。まさか、死体が動くなんていうオカ
ルトがあるとは思えなかった。
「ちょっと待て、あれは……」
 目の前にいる男が、雷牙の後方を指差した。
 そこに雷牙が首を向けた瞬間、雷牙の価値観は事なく玉砕された。
 ルアがそこで、立っていたのだ。
「まさか……」
 そんな事が、と思って雷牙は赤くなりそうになるぐらい目をこする。
 しかし、目の前の幻想は全く消えない。
 ルアの体はあの時のままだ。心臓の辺りから吹き出た血が純白のワンピースを赤く染め、
吐血した残りがまだ口からたれ流れている。その姿は、彼女が死に絶える直前と全く変わらない。
 唯一違うのは、前髪の間から覗かせる彼女の目だ。
 彼女の目は澄んだ大空のような蒼い目だった。だが、目の前にいる少女の瞳は、氷のよう
な不純とした水色だ。
 まるで、心を凍てつかせたように。
「どうなってるんだ……?」
 男も相当驚いている。死人が動いて、驚かない人間などまずいないだろう。
(あれは……)
 雷牙はこの現象をk、どこかで聞いたような気がした。
(死んだ人間が立つ……、あ!)
 雷牙は思い出した。スエラ自身の言葉だ。
 その昔。スエラが原因不明の熱病に侵され、死の瀬戸際まで追い込まれて、結局彼女は病
に負けてしまった。
 その直後、その死体が浮かんだのだ。
 死んだ後にまた動く。それは全く同じだった。
 その後、スエラはどうなった?
(あの後は……そうだ、堕天使の羽のようなものが……って)
「まさか!」 
 衝撃の事実が答えになり、つい雷牙は大声で出してしまった。近くで叫ばれた男が不審に
思うのと同時、
 ルアの体が輝く光で包まれた。
「うっ!」
 そのありえないほどの眩しさに、雷牙と男は目を瞑って腕で光を遮る。
 雷牙たちは見えていないが、その光はベールのようにルアの体を包み込んだ。ゆっくりと、
彼女を白光の殻で守られていくように。
 その光が闇に溶けると、2人は彼女の姿を見て絶句した。
 ルアは宙に浮かんでいた。背中に、6枚の純白の翼を広げて。
 翼は上下左右に2つずつ、そして腰の上辺りに対の2つが広げられていた。左右の羽は大き
さも形も全てが同じだった。翼は1つ1つが独立せず、まるで彼女が宙に浮かぶのを助けるよ
うに全部同時にはためいている。
 その姿は、まさに天使だった。
 そして、雷牙の頭では今、1つ1つの歯車がかみ合っていた。
(あれは世界崩壊の兆候なのか……?)
 頭の中で、疑問が次々に解けていく。
(だったら、あいつがした事は間違っていたのか)
 隣では、男が身もだえしていた。恐怖、からなのだろうか。
(彼女の中に眠っていたものの制限解除は時間というものではない。その解除の仕方とは、そ
の人間が死に陥った時なんだ)
 スエラの時も、何らかの病のせいで息絶えて、そしてまた動き出した。しかしそれは、『何
らかの病に侵される』というわけではなくて、『何らかの原因で死に絶える事』が条件として満
たされたから動いたのだ。
 つまり、死こそが活動条件。
 ルアの背中に生える大きく広げられた羽は半透明で、完全に色づく事を待っているかのよう
だった。
(活動に入ったか。なら本格的になる前にどうにかしないと)
「ちっ!!」
 男はしまい込んでいた己の銃を再び構え、迷う事なくその引き金を引いた。押し出された銃
弾が、張り詰めた空気を裂いていく。
 しかし、それは空中で止まった。
「なっ!?」
 男の声が少しうわずる。
その弾は音を出してないが、壁のような何かにぶつかったように見えた。やがて、速度を失い、
カランと床に転がり落ちた。
「なるほど」
 雷牙はそれを観察するかのように見届けた。
「カムイさんが何も出来ないわけが分かった」
 カムイは何もしなかったのではない。出来なかったのだ。
 おそらくはこの見えない壁に阻まれたのだろう。何をやってもスエラは決して届かず、そのま
ま歯を食いしばって見ているしかなかったのだ。
「くそっ! どうしたらいいんだ!」
「さっきの冷静さはどこにいったのかな? まあいいけど」
 雷牙はルアを見る。
 彼女は本当に無機質のように体を預けている。もうそこには心がないと、さっき見た氷の瞳か
ら雷牙は察した。
 その時、羽に色がつき始めた。
「――!!」
 雷牙は戦慄した。
 半透明なその羽は、端から序々に白色を帯びて煌きを放ち始めている。それが羽1枚に広がっ
た時、どうなるかは雷牙は予想も出来ない。
 だが、とんでもない事になるのは確信出来た。
「ああくそっ!」  男はやけくそみたいになって、手のひらを上にかざす。
「雷電防御(エレクトロシールド)、発動!」
 どこかで聞いた事のあるような単語をその男は発言する。
 半透明の1枚の羽が、完全に色づくのと同じタイミングだった。
 真の純粋となった白の羽が淡く輝くのと、ノイズのようにうごめく電磁波の壁が出来上がる
のはほとんど同時だった。
 本来の、雷電防御の用途だった。
 その直後、大きな衝撃がのしかかる。
「うぐっ!」
 想像を絶する衝撃に、雷牙は立つ事さえままならなくなる。それは男も同じだったが、男は懸
命に左手を伸ばし、何かを保とうとしていた。
 雷牙は上方を見上げる。上からは何本もの極太い光が突き刺さるように地面へ直撃していた。
 光の雨。
 形容するならそれが1番妥当だろう。光の雨は小屋の屋根を、まるで紙をペンで突き刺すよ
うにもろく貫通した。貫通しても威力は衰えず、雷牙たちの周りだけに張っていた電磁波の壁
以外には光熱の雨が突き立てられていった。
 大地震のような衝撃が、雷牙の身に襲い掛かる。
「くっ……」
 衝撃は過度に体を揺さぶり、雷牙はすぐ吐き気をもよおした。
「酸素は無くなってないか? 息苦しくなったらすぐ言え」
 雷牙は言葉を返す。
「その前に決着がつくよ、真樹斗」
 男――真樹斗は黙り込んだ。
 光の雨は留まる事を知らない。すぐにでも壁を打ち破ろうと衝撃を伴って槍のように差し込
んでくる。
 けたましい轟音が響く中、真樹斗は口を開いた。
「これには1度空気に漂う原子を分解し、そこで発生した電気エネルギーを使って出来ている。
有限とはいかないが、突き破られる事はない。あれを周囲に囲んで同じようなものを張ってい
るから、ここ以外に被害は出ない」
「そう」
「……なぜここにいるのか、とかは聞かないんだな」
「分かってるから。上の命令でしょ?」
「……それで、あれは何だ?」
「分からない」
 雷牙は首を振った。
「何も。あれの実体は何なのかを掴む事は出来なかった」
「あれは科学で説明できるのか?」
「おそらくは、出来ない」
 もしあれが科学で具現化出来るのなら、それこそ世界は終わるだろう。
「どうするんだ」
「分からない。何をすればいいのかも、全く」
 雷牙は奥歯をぎりぎりと噛みしめて、自分の両手を眺めた。
 限られた物しか破壊できず、自分を守る事さえろくに出来ない両手。それで守れたものも本
当に何もない。
 目の前の状況も、どうにも出来ない。
「くそっ!」
 雷牙は自分の両手を、失念のあまり強く握り締めた。
「雷牙! 上!」
 途端に真樹斗の声で呼ばれ、雷牙は上を見上げる。
 その視線の先には、ぶれるようなノイズがはしる電磁波の壁を突き破り、雷牙を消滅させん
とする閃光の槍が目前にまで迫っていた。
 壁が、破られたのだ。
 光の熱量がぴりぴりと伝わって来る。あれに当たったらその熱で焼失させられてしまうだろ
うと雷牙は察する。
 それでも雷牙は反射的に片手を向けた。避けるという行動よりもまず先に。
 槍に似せた白光は、轟音と共に手を突き出した雷牙と一直線に衝突した。


一覧へ 次へ