結局ベットの上に腰を置いて待つ事30分。
「入っていいよ」
扉から出るコンコンと叩く音が聞こえたから、雷牙はそう言った。入ってきたのは、おぼんに
器を乗せたルアだった。
「自分の家なんだから叩かなくてもいいのに」
「いえ、あなたが何かしてらしたらあれなので」
彼女は紅いエプロンをワンピースからかけていた。所々に染みやしわがこびりついている事
から、かなり長い年月使われているようだった。
ルアは、そのおぼんを雷牙の前に差し出す。器の中に入っていたのは、米が水に浸されて、
そこから湯気が出ている食べ物だった。
「これは?」
「お粥ですよ。風邪の人にはこれがいいんですよ」
「そうなんだ」
備え付けてあったれんげですくい、それを口の中に運ぶ。湯気が出ているだけあって熱かっ
たが、少し薄めの味がよくておいしかった。
「うん、おいしい」
雷牙がそう言うと、ルアは心からほっとしたように胸をなでおろした。
「良かった。ライガさんの口に合わなかったらどうしようかと……」
「そこまで味にはこだわらないよ。出された物は何でも食べるし」
「……やけに軽く言いますね」
「そう? 大体、普通ならおいしいとか言わないと思うけどね」
改めて、雷牙はおぼんの上にあるお粥を見る。
確かに、一見すれば全くと言っていいほど色はなく味も少し薄そうだ。しかし、まだ頭痛が
弱く残る雷牙にはこのぐらいがちょうど良かった。
「けれど、本当に初めて見るよ」
「そうなんですか? これは昔からある食べ物なんですけど」
「ありゃ、そうなの? 知らなかった」
雷牙たちの食べ物は、具材を中に挟みこんで上下をパンで挟んだ食べ物である。昔から日本
は米が主食だったためか少しは残っているが、大体はそれが今の主食になっている。さらには、
病気を治す薬も、軽いものなら飲んだだけで治るのだ。
そんな時代に、看病の時専用の食べ物などそうそうない。
「そういえば、どこで食料調達しているの?」
ふと雷牙は気になった。ここは緑が生い茂っていてもその周りは雪しかない極寒だ。そんな
所に作物なんて育つはずがない。絶対に、どこからか運び込まないといけなくなる。
しかし、ルアはさっき誰にも会った事がないと言った。機械も知らないと言った。ならば、
彼女はどうやって食べ物を得ているのだろうか。
「ちょっと、特別なところがあるんですよ」
ルアは得意げに言う。「この小屋の地下をちょっとした荷物置き場としているんです。そこ
に食べ物がありまして、何日経っても消えないのですよ」
そんなばかな、と雷牙は思った。
いくらなんでも、そんな魔術じみた出来事が今の時代に起こるとは到底思えなかった。
「そこ、見せてほしいな」
「う〜ん、それは少し無理ですね。いろいろあるといけないですし」
信じられないものだから中を見せてもらおうと思ったが、速攻で却下された。確かに、物を
取られたらどうしようもないと思うだろう。
「でもさ、ルアはそれは不思議だと思わないの?」
「なんだか、それが普通みたいに思えましてね」
「すご! それが生活に溶け込んでいるのがすご!」
あはは、とルアは雷牙の様子を見て笑う。
蒼の瞳が、少し楽しそうに輝いた。
「……あのさ、ルアとかさ、両親や先祖とかは外国人だよね?」
この場でいう外国人とは、日本以外の地方で生まれた人を指す。
環境の変化のために、もうこの世界には海というものは存在せず、代わりに氷が出来上がっ
ていた。その氷を渡れば、昔は歩いていけなかった所まで簡単にいけるようになる。だから、
もはや国というのではなく、『地方』という区別の仕方だ。
ルアは、髪や目の色からしてこの地方ではないと断定できる。目の色から判断すれば、彼女
はヨーロッパ地方の人間かもしれない。髪についてはよく分からないが、おそらく遺伝的なの
だろう。
しかし、彼女は首を傾げていた。
「そうですね……私にはよく分かりません」
「え……、ルアは両親を見た事あるでしょ?」
いいえ、とルアは首を横に振った。
「私は、両親の姿は知りません」
一瞬、雷牙は時間が止まったように感じた。
「なんで……?」
「私にもそれは分かりません。しかし、一応幼い頃の記憶はありますよ。ただ、その中に両親
と一緒にいる記憶はないのです」
「じゃあ、両親の名前も?」
「分かりません。何も、私に両親の記憶はないのですから」
「そう……」
雷牙はもう聞きたくなくなっていた。
なぜか彼女の悲しみが伝わってくる気がして、なぜか彼女の苦しみが身に染みてくる気がし
て、これ以上聞くのが辛かった。
よくよく考えればそうだった。こんなところで、彼女が1人住んでいるのがおかしいのだ。
「大変じゃなかったの? 1人でいてさ」
雷牙ならまず耐えられない。今は流石に成長しているが、1人は本当に寂しいもので、親と
言うのは本当に身を寄せられる人間なのだ。
しかし、彼女の幼い時はそれがいなかった。
「私は、大丈夫でした」
なのに、彼女は笑っていた。
「私は、もう1人で生きるしかないって、泣くよりも先に思いました。だから、悲しみにくれ
る事はなかったのです。ずっと1人で、生きていくつもりでしたから」
強い。
雷牙は、彼女の心はとても強いと思った。
どれだけ負の感情を抱えても、それを決して表に出さずに笑顔を作る。嘘をつくという点で
は雷牙と似ているが、根本は大きく違っていた。
ルアは他人のために嘘をつき、雷牙は自分のために嘘をつく。そういった、とても比べ物に
ならない大きな違いがあった。
「ごめん、嫌なもの思い出させちゃって」
雷牙が頭を下げると、ルアはそんなの、と両手を振ってごまかした。
「そこまで、考える事ではないですから」
それより、とルアは話を切って雷牙に体を近づける。
「今日は、やっぱりここで寝るんですか?」
「そうじゃないと言ってもだめなんでしょ?」
「まあ、病人ですからね」
出来ればさっさと帰って再突撃、と行きたいのだが、それは叶わないらしい。彼女は無自覚
のうちに、自己防衛をしているのかもしれないと雷牙は心の中で笑う。
「で? それがどうかした?」
「いえ、出来れば、その……」
突然ルアは顔を赤らめ、指を折ってもじもじし始めた。何か嫌な予感がする、と雷牙はよく
あるパターンから連想して感じた。
「隣に、寝てもらえないでしょうか」
「…………、君、自分がなに言っているのか分かっている?」
雷牙が考えを改めるように言うと、ルアは咄嗟に否定し始めた。
「あ、いえ、今のは一緒のベットでという意味ではなくて、その、隣同士という意味です!」
「何で?」
「……見張りです!」
嘘だ、と雷牙は見抜いた。間が空いた時点でそれぐらい分かる。
何でそんな事をルアが言い出したのかは分からないが、とてもじゃないがそんな事は雷牙は
呑めなかった。そんな事したら、絶対夜中に危ない事が起きてしまう。雷牙自身はするとは思
えないが、夜は分からない。
よく、事件で夜中に男が暴走したというものもある。
「で、本当は何がしたいの?」
「見張りです!」
「それ、なんのために必要なの?」
実はというと雷牙は内心ギクシャクとしている。まさかこの少女に自分が何をしようとして
いるのか知られてはいないだろう。
ルアは依然、見え見えの照れを隠しきれていると思っているらしい。
「あなたを見張るためです!」
「同じだから」
「同じじゃありません!」
「……じゃあ、僕の何を見張るの?」
「行動です!」
「……で、本当は?」
うぅ……、とルアはひとしきり黙った後、腹をくくったように肩を落とした。
「実は……、出来れば夜は1人でいたくないものですから」
「……はい? 今まで1人で寝ていたんじゃないの?」
「いつももうびくびくしていました。何が現れるのか怖くて怖くてたまりませんよ」
案外子供だなあ、と雷牙は思った。心の持ちようは同年代とは思えないのに、やっぱりそう
いう部分もあるのものなのだろう。
ちなみに、彼女が恐れている幽霊の類だが、それはもう、『人が錯乱に陥ったときの幻覚』
と『自然物が偶然合わさって出来た産物』というように科学で解明されている。だが、それを
この少女は知らないわけだから、恐れるのは当然かもしれない。
「……もしかして、何かあったの?」
それでもこの歳でまだ信じているのには、どうも実際に見たとしか考えにくい。
ルアはそれに、1回頷いた。
余計な詮索はしないでおいて、結局どうするか雷牙は悩む。いろんな事もあって付き添いた
くはないのだが、、仕方
ないからいてあげる事にした。
「じゃあいいよ。ただ、その時だけ僕を1人の男としてみないように。僕は……、例えるなら
兄という感じでお願いするよ」
「はい、分かりましたお兄様」
「……なんでそんな言葉になるのかな?」
こうして、雷牙の1夜の葛藤が始まった。
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