雷牙は目を覚ます。
「ここは……」
 起きたてなためか、視界がノイズがはしるようにぼやけていて、状況が全く把握できない。
ただ、横たわっているという事だけは確認できた。
 体の下にあるものは柔らかくて雷牙を優しく受け止めているようだった。上にも感触がある
事から、何かかけられているのだろう。
 ノイズがだんだん取れていく。雷牙の体にかけられていたのは毛布だった。
「なっ!?」
 そこで気づく。雷牙は、部屋のベットの中に横たわっていたのだ。
 驚きのあまりに激しく雷牙が動いた事で、かけられていた毛布が床にへとずり落ちて、自身
の姿が露になる。
 雷牙は、上着を1着しか着てなかった。
「何で……痛っ」
 雷牙は痛み出した頭を抑える。
 その時、奥の扉が開かれた。
「あ、ライガさん。起きましたか」
 そこから白いワンピースの少女が入ってきた。確か、名前はエルアールと言っていた。その
少女の手に持っているのは、紛れもなく綺麗にたたまれた雷牙の服だった。
「あ、それ……」
「あなたの服がびしょぬれだったので洗濯しておきました」
 そうじゃなくて、と雷牙は声のトーンを落として言う。
「その中に、いろいろ入っていたんだけど」
 雷牙の所持物は湖で全て使えなくなったので機械類はほとんど捨てたが、乾かしたり本部
に持っていけばまた直ったりするものはバッグやコートの中に入れ込んでいた。もしそれがコー
トごと洗われてしまったら、洗剤にまみれて今度こそジャンクになる。
 だが、エルアールは大丈夫ですよと言った。
「それは1ヶ所にまとめておきました。流石にそんな物を壊してしまうような事は絶対にしま
せんよ」
 そう、と雷牙は簡潔に返す。
 殺す人間に、そこまで恩を着せようとは思っていない。
「しかし、あれは一体なんなんですか。あんな堅い物なんて、見た事ありませんよ」
 肩こりましたし、とエルアールは疲れた肩を叩きながら言う。
 雷牙は拍子抜けしたように驚いた。
「え? まさか……機械を知らないの?」
「機械って何ですか?」
 逆に問いかされてしまった。
 今は科学が昔と比べてかなり進歩している。その進歩の過程で生まれたのが便利な機械で、
それはもう日常に溶け込んでいるのだ。
 だから、その日常を教えろと言われても辛い。
「う〜ん、どう形容すればいいのか……」
 悩むあまりに辺りをきょろきょろと見渡す。しかし、どこを見てもいいヒントは見つからず、
逆にある事が分かった。
 この部屋は木造で、テレビや暖房機具などが一切置かれていなかった。それはこの部屋だけ
かもしれないが、木造だから電気など通っていないだろうし、おそらくはこの小屋には機械が
置かれていないだろう。
 そんな環境で昔から住んでいたのなら、機械など知るはずもない。さっきの言動からこの山か
らは出てないだろうし、それを知る機会もなかっただろう。
「そうだね……、ここにはないものがそうかな?」
 とりあえず、そんな風に雷牙は言った。だがそれだけでは不十分で、エルアールの頭には疑
問符が浮かんでいるようだった。
「ここにはないものというと、例えば?」
「そうか。う〜ん、じゃあさ、ここには自分でそこまで行かないと出来ないものがあるよね?」
 雷牙は視線に入った、バケツを指差して言う。おそらく彼女は近くの水がある所から使う量
だけ持っていっているのだろう。それを毎日やっていくには彼女にとっては辛そうだった。
「ええ。湖にまでくみに行くのは少々面倒です。それに、水も重たいし」
「それを自動でやってくれるのが機械なんだよ」
「自動とは?」
「えぇそれも? 自分がやらなくても勝手にしてくれるって事だよ」
 エルアールは1回首をかしげる。そしてやっと分かったようで、自分のいた世界がひっくり
返されたように目を見開いた。
「……すごいですね。機械って」
「まあね。それだけじゃない。今のこの部屋は少し暑い。だから窓も開いているけど、冷たい
風を送って部屋を涼しくしてくれる機械もあるんだよ」
 他にもいろいろ話した。人を乗せて動く車の事や、食べ物をちょうどよく生産し、加工する
機械など、雷牙にとっては当たり前のような事を話した。それでもエルアールは驚いて、しま
いには拍手までしていた。
「本当にすごいです。機械というものさえあれば、生活って便利になりますね」
「う〜ん、便利というわけでもないよ。機械を動かすには電力がいる。それを作り出すのにも
また資源がいる。資源がなくなれば電気がなくなって、電気がなくなれば機械は動かない。そ
して、資源は無限じゃないからね」
 今は、電気に変わる新たなエネルギーを探している。
 その理由はもっと簡単にエネルギーが作れれば生活が楽になるというものだったが、実際は
違う。簡単に言えば、資源が底を尽きそうになっているからだ。
 あの環境の変化のせいで、人間は機械に頼りきる生活となってしまった。それ故に、電気の
生産と消費のバランスが崩れてしまった。だから、新たな資源でそれを取り戻そうというわけ
らしい。  実際、それは環境の変化前から行われてきたらしい。その時はうまくいってたようだが、変
化後には全部実用不可になったそうだ。
「多分、機械に頼れるのも時間の問題だね」
「そう、なんですか……」
 がっくりとうなだれるエルアールを見て、それが面白く感じた雷牙は笑みがこぼれる。
 しかし、そこで雷牙ははっとする。
(何やってんだよ、僕は……)
 雷牙にとって、エルアールは殺害する標的だ。それだから、なにも親切に教える必要はない
のだ。
 それ以前に、そこまで関係をもってはいけないはずなのに、過失をして彼女と『助けられた
恩』という関係が結ばれてしまった。このままだと、彼女に呑み込まれそうな気がする。
 ここにいてはいけない。そう感じて雷牙はベットから這い出ようとした。
「痛っ……まだ頭が」
 しかし、頭痛がそれを邪魔する。
「あ、だめですよ。まだ動いては」
 それでも動こうとした雷牙を、エルアールが肩を持ってベットに押さえつけた。そうなるも
のだから、つい顔が近づく。
 蒼い目が訴える。まだ動かないでと。
「病人は、そこでおとなしくしていてください」
 今のエルアールは、なんだか看護婦のように見えた。
 これが、彼女の心か。
 雷牙はそのまま押さえつけられた状態で、エルアールに対してこう思っていた。
 関係をもってはいけない。雷牙はそう思っている。
 それは、任務に対して心に揺らぎがでるからだ。
 心がその対象に揺れ動いていた場合、必ずその対象に対しての行動に迷いが生じてしまう。
それで達成出来なかったという例が、過去にも存在する。
 今も関係はもたない方がいいと思っている。
 しかし、それがもう出来ないと雷牙は判断した。
(こっちが逃げたって、追ってくるのだから)
 雷牙がどれだけエルアールから離れようとしても、絶対と言っていいほど彼女は雷牙に近づ
いてくる。それは初めて会った人間だからか、それ以外の理由かどうかは分からない。
 ただ、やってくるのは事実。
 やがて、少しぐらいならいいだろうと雷牙は思った。
 少しぐらいなら肝心な時に迷いなど起きないだろう。それでも起こすのは本当に優柔不断な
人間だけだ。雷牙は、自分ではそうではないと思っていた。
 さて、と。
 自分の思いに一区切りつけて、雷牙は間近にいるエルアールを見る。
「……分かったからどいてもらえない?」
 とりあえずそう言う。そこでやっと自分がどんな事しているのか気づいたのか、顔を破裂し
たみたいに真っ赤にして、エルアールは飛び跳ねるように雷牙から離れた。
「ごめんなさい! いやあの、決してそういうつもりでは……」
「ん? そういうつもりって?」
「あっ、あぅ……」
 エルアールは黙り込んだ。気のせいか、さっきよりも顔が紅くなっている気がする。
 どういう事か問いたくても、これ以上踏み込むと彼女の逆鱗に触れそうな気がしたので止め
ておいた。普段優しそうな人は、怒ると死ぬ危険もあるのだ。
 殺す方が殺されてはどうにもならない。雷牙はその話題から目を背けることにした。
 沈黙が起こる。その間に、雷牙はふと気になった事がある。
「エルアールって名前、何か変」
 彼女の親が、どういう意図でエルアールという名前をつけたのかは分からない。ただ、どう
もエルアールと聞くと雷牙は高機能シュミレート装置、略してLRという言葉が浮かんでしま
う。このままいくと、彼女を高機能シュミレート装置といいかねない。
 ないとは思うが、流石にそれは怖いのでなにかいい方法はないか考える。
「いっその事、それで呼んでみるか」
 怒髪天をついた彼女が目に浮かんだので即刻却下。
 とんでもない想像が浮かび上がったので、雷牙はどこかに行きかけていた思考を元に戻す。
「一瞬、楽しそうと思った自分がいけない」
 あだ名は何も考えないと自然と浮かび上がってくるのに、いざとなると全く浮かんでこない
雷牙だった。
「で、どうしようか」
「何がですか?」
 いつの間にかエルアールが傍にいたので雷牙は少し驚く。その顔には、さっきまでの林檎の
ような真っ赤なほほはしていない。
「驚きすぎですよ。ライガさん」
 雷牙の反応がよっぽどおもしろかったのか、彼女は手で口を押さえて笑う。その姿は本当に
楽しそうだった。
 彼女に対してそんな気持ちを持てない雷牙は、それがちょっぴりうらやましかったりする。
「ルア……」
 そんな彼女を見ていると、ふいに言葉が漏れた。
「なかなかいいかも」
 響きもいいし、なんとなくいい意味が込められている気がした。
 雷牙はまだ笑いで口元が緩んでいる彼女を呼ぶ。
「ねえ、エルアール」
「はい?」
 優しく明るいような感じで、エルアールは答える。
「あのさ、なんとなくだけど僕からは君の事、『ルア』って呼んでいい?」
 その時一瞬、少女の瞳が揺れ動いた。
「……それはなぜでしょう」
「なんとなく、かな。君を見ていると自然とその言葉が出たんだ」
 そう言って、雷牙は少し舌を出す。
「といっても、本当は君の名前が呼びにくいからなんだけどね」
「……そうなんですか」
「いや、個人的には、なんだけど」
 おかしいです、と少女は笑う。そのあどけなさにつられて、雷牙も思わず笑みがこぼれる。
 と、その時少女は笑いながら、一縷の涙を流した。
「けど、嬉しいです。他の誰から名前を呼ばれる事も、あだ名をつけられる事も、なにもかも
初めてでしたから。何か、一気に感情がこみ上げて……」
 雷牙は笑っていた顔を引き締める。なんとなくだが、どこか空気に亀裂が入ったようだった。
 女の子を泣かすのは、雷牙は初めての事だった。嬉し涙というのは分かるが、それでも動揺
してしまう。
 その雰囲気を取り払うように、彼女は流れていた涙を拭う。その時に、彼女の銀色の髪がし
なやかに揺れる。
「じゃあ、ご飯用意してきますね」
「え? あ、いや、そこまでいるつもりじゃあ……」
「いえ。食べていってください」
「いや、だから……」
「病人なんですから、出る事はさせませんよ!」
 少女は朗らかにステップを踏んで、雷牙がいる部屋から出て行った。雷牙はその後、ぽかん
としながら彼女が出て行った扉を眺めていた。今逃げ出そうと考えても、絶対にあの少女に捕
まえられてしまうだろう。あの様子では、どうやら1晩中ここにいさせるようだった。雷牙
は逃げる事を諦め、もうしばらくはここにいる事にした。
 静寂の中、雷牙は自分が彼女に移入しすぎている事に気づいた。
「……だめなんだ」
 雷牙は、自分の使命を再確認して、自分の手を握り締める。
 見失うな。彼女は殺す存在だ。


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