バン! と。乱暴に雷牙は扉を蹴り飛ばした。
「ルア!」
雷牙はベッドのところに来ていた。
それは、以前に雷牙が倒れた時にお世話になったあのベッドだった。
そして、そこにルアは横たわっていた。
それは全く寝息を立てず、この前まではお腹を上下させていたのに、今は全くしていない。ど
こからも、彼女の動きが見えないのだ。
まるで、死んでしまったような。
「ねえ! しっかり……」
雷牙が息をしているのかさえ定かではないルアに近づこうとした途端、
ガスッ、と後頭部に重い衝撃が走った。
「ぐ、あ……?」
すぐさまに激痛が頭を駆け巡り、雷牙はその場に倒れこんだ。全ての感覚が奪われたように、
雷牙は思うように体が動かせなくなる。
それでも、雷牙はルアのいる方へ手を伸ばす。
その時、背後からコツンと革靴の音が鳴った。
雷牙がぎこちなく振り向くと、そこには全身を黒に包んだ男が1人。
それは、あの時の人間だった。
「つ……あ……」
「どうだ? 今の気持ちは」
男は不敵に笑う。その手には金属の棒が握られていた。
「う……ぐ……」
「声も出せないか。まあ、それが当たり前だろう」
男は吐き捨てるように言う。
まるで、目の前のごみくずをあしらうように。
「一応、毒殺って事で劇薬をこの辺りに充満させたのだがな、どうもあの少女は昏睡しただけで
息絶えたりしなかった。どうやら、お前は薬品を広げた時の音で察しられたみたいだな」
男は不敵な笑みを浮べ、視線をルアにへと投げる。
その繊細な体は、本当に凍ったように動いていなかった。
「ふざけ……るな……」
雷牙はかすれた声を出す。「なぜ……彼女は……死ななくて……は……ならな……い?」
「お、少しは話せるのか」
男は少し感心したように声の調子を上げた。それから、呆れの溜息を吐く。
「お前、何もかも知ってきたんだろう? 彼女の力は世界を滅ぼす。あの本に書いてある事は紛
いのない真実なんだ。だから、死ななくてはならない。世界の平和に」
嘘だ。
雷牙は心の中で叫んだ。
あの本に書いてあった真実などほんの一握りだ。スエラの事も、カムイの事も、全て2人を悪
く言っただけなのだ。
だが、彼女が危険分子である事には変わりない。スエラの話でも、それは必ず起きると予言し
ていたのだから。
だけど、雷牙は認めたくなかった。
彼女が死ななくてはならない運命を、認めたくなかった。
「お前、本当いつからそうなったんだよ」
どこか嘆くように、「昔は自分の任務をただ遂行していく人間だったろ? それがなぜ、逸れ
ていったんだよ」
どうやら、この男とは面識があるようだ。
雷牙は顔を上げないまま問う。
「君……は……」
「俺の事などどうでも良い。こっちの質問に答えろ」
しかし、冷徹にその言葉は遮られる。
雷牙は過去の自分を思い出す。
確かに雷牙は任務を忠実にこなしてきた。それなりに面倒な事もあったが、課せられたものは
必ず達成してきた。
しかし、それは正しいと思ってきたからだ。
人を守るのも、悪人を取り押さえるのも、それが正義だと思ってきたからだ。
そして、正しさの基準は。
「僕は守る……ため……」
息を止めたまま、辛い表情を浮かべながら言った。
「みんなを……守るため……」
「なら、あいつを殺すのが先決で――」
「違う」
遮るように言った男を、逆に雷牙が遮った。
「彼女も含めて……全員守る」
力尽きそうな声で、雷牙は言う。
全ては天秤。
彼女を取れば、世界が。
世界を取れば、彼女が。
そんな不条理の天秤の真ん中に、雷牙は立たされている。
だけど、雷牙はどちらが良いなんて選べない。
どちらも、かけがえのないほど大切だから。
全員を守り、真実を貫く。それが雷牙の定義だった。
「だがな。そんな事はうまくいかない」
それを打ち破るように、男は言い放つ。
「天秤は、罪の重さを量るもの。彼女と世界。どちらをとるかで罪は大きく変化する。さて、軽
いのはどちらを取った時だ?」
「それは……」
「彼女だ」
男は冷然と言い放つ。
「言っておくが、今回に起きる崩壊は必ず全人類を絶滅させる事となる。原子崩壊(メルトクラ
イシス)のように、生き残るというのは絶対にない」
「どこにそんな根拠がある」
雷牙は、少しずつ体の調子を取り戻してきた。
「どこに? そんなものない。だがな、分かるんだよ。今のこの世界は科学が満ち溢れている。
だが、それはいつかは滅びる。そして、おそらくそれに依存しきっていた人間は死んでしまう
さ。1人残らず、変わり果てた環境についていけずに」
男はそれをどこか不満そうに言う。
全ての恨みを、ルアにぶつけるかのように。
「それはゆるやかな方がいいんだ。急に、それこそ神のような判断でそれを下されては、
猶予の時間さえくれなければ何も変わらないんだよ」
この男は、最後をひどく強調した。
そして、打ち切るように話を変える。
「さて、実はというとお前には処刑命令が出されている」
雷牙はやはり、と思った。
国宝レベルの本を盗み読みしたのだ。それは免れない。
「だが、出来ればお前を殺す事はしたくない」
雷牙はその時男が取り出したものに、体をこわばらせた。
それは、旧式の銃だった。
「それは……」
「ん? ああ。これは確かに旧式だが、旧式故に火薬を使っていない。だから、ありえないと思
うが薬品が残っていたとしても、引火して家が吹き飛ぶなんて事はないだろうさ」
そして、その銃をルアに向ける。
その延長上で、雷牙も的に入った。
「さて、どけ。お前も殺さなければならないから、俺はこういう形で銃口を向けている。しかし、
お前がどけばそれ以上は追いかけない」
男は空気を凍てつかせるように言葉を放つ。
それは、彼女を見捨てろと言っている。
この刺々しい雰囲気は、それを正解だと言い聞かせているようだ。
雷牙は未だ残る殴られたように起こる頭の鈍痛を無視し、神経に無理矢理言い聞かせ、棒のよう
になった足を立たせる。
そして、横たわる彼女の前で手を広げた。
「なっ……」
男が驚きの声を漏らす。
雷牙は男の銃口に、手を広げて阻んでいる。
彼女に弾が、行かないように。
「僕は……これでいい」
雷牙は静かに言う。
「僕はもうどこからも追われる身だから。それなら、彼女を守るためにこの体を犠牲にするよ」
「お前、言っている事が……」
「分かっている」
彼女が死んでしまうぐらいなら。
自らを亡き者にしても、その運命を変えてみせる。
そう、月に誓った。
どんな事があろうとも、彼女を絶対守るとも。
「どけ……」
男がかなり動揺している。
「嫌だ」
「邪魔だ。どけ」
男の声に、憤りが混じっているようだった。
「嫌だ」
それでも、雷牙は冷静に突き返す。
雷牙はもう迷っていなかった。
どれだけ彼女が危険だろうと。どれだけ彼女が人から忌まれる存在だとしても。
自分だけは彼女の傍にいる事を。
彼女を安心させられるようにいられる事を。
たとえ彼女の目の前から姿を消す事となっても、その姿をいつまでも見届けていられるように
と、雷牙は心に刻んだ。
「どけぇ!」
男の咆哮と共に、銃の引き金に指がかけられる。
それでも、雷牙はどこうとしなかった。
何があっても動こうとしなかった、
そのはずなのに。
弾が放たれるその瞬間、雷牙の体が突然左に傾いた。
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